つい先だってのこと、N先生から電話を頂戴した。HPでの昔話(「蘇るヴァイオリン」)を読んでのお電話で、呼吸器系の疾病で声がお苦しそうだったが、嬉しかったと気持が弾んでおられた。そのN先生が2週間前に身罷られたとご家族から知らせを戴いた。やはりと云う気持とお伺いして話の続きが出来なくなった無念とが絡んで何とも寂しい。
N先生にはやや先に私が、遅れて愚妻も手ほどきを受けた。ヴァイオリンである。先生はかつて読響のコンマスでのちにご自宅で生徒をとっておられた。あるご縁でお訪ねし、六十半ばの老骨ながら弟子の末席において戴いた。管弦楽法の一環で楽器は様々触ってきたが、流石に楽器の女王は敬して遠ざけていたと語る私を励まし、N先生は「ぜひ女王様にお近づきを」と微笑まれたのを鮮明に記憶している。
コンマスのN先生は存知上げなかったが、教師としての先生には天性の才があった。猫が歩いても音が出るピアノとは別世界の擦弦楽器、特にヴァイオリンの音づくりの妙を指先の厚みで巧みに見せてくれた。あれには音に五月蠅い私が感動したものだ。作曲でこれでもかと云うほど叩き込まれた平均律の不合理を、ヴァイオリンの音づくりで実体験したのもあのときだった。導音を四分の一音上げる道理を知ったのもそうだ。N先生との縁は東京を引き払って以来途切れていたが、近く折りを作ってヴァイオリン話、音楽話をしたいものだと思っていた矢先の訃報だった。
バッハにパルティータというヴァイオリンの独奏曲がある。正しくはソナタと組み合わせて弾かれるが、そのト短調のソナタが私の贔屓の曲だ。折角ヴァイオリンを習うなら何時の日かこの曲を弾きたいものだと夢見ていたのである。ようやくロンディーノを温習(さら)っていた頃、実はこの曲を弾きたいものだとの野望を先生に伝えたことがある。窃かに我流で弾き込んでいた最初の20小節ほどを不節操にもご披露に及んだのだ。
これはロンディーノを凌いだレベルでは手に負えない曲だと知りながらの暴挙だった。めくら蛇に怖じずのあれである。聴いておられたN先生は、咄嗟に褒めちぎったのである。音切れがいい、音程も正確だ、流れが整っているなどなど、その調子で取り組めばいずれものになる、と。そして先生は、やおら楽器を取られて弾き始められた。私の十倍超のテンポで一気に最後のケーデンス(カデンツ)まで弾き切られてにっと微笑まれた。言葉は要らなかった。私は先生の意図を納得して頷いた。
いま黄泉路を歩まれるN先生にひと言お伝えしたい。余り遠くない将来、ト短調ソナタはせめて半分のテンポでお聴きいただけるよう精進します、と。私の楽器遍歴がヴァイオリンで終わるのはN先生との邂逅があってのことだ。老骨を何くれとなくお気を掛けてくださった先生に改めて感謝したい。あちらでもヴァイオリンを弾きまくるお姿が瞼に浮かぶ。
先生、安らかにお休みください。
※「蘇るヴァイオリン」http://wyess11.xsrv.jp/main/2019/03/31/playing-violin/
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