酷暑を味ふの記

寒さなら一向に気にならぬ。緯度なら千島列島辺り、アイダホの極寒さえさり気なく生きたからには日本の冬などは毛ほども厭わぬ。それが、暑さとなると話が違ふ。体温を超える気温はもういけない。超える度合いが過ぎるほどいけない。さうなれば、コロナ禍のさ中今年の夏はとても生きられまいと、冗談まじりに語ってゐたことがマジとなった。八月を越えなんとするいま、わが人生空前絶後の炎害、それを真面(まとも)に食らって曾て実感したことのない体調の変化に兢々としたのだ。これはその経緯である。

何ごとも程々がいい。寒暖にして然り、如何に寒さは厭はぬとは云へ、小水が迸るまま凍る様な極地は困る。暑さにしてもさうだ。鮒のやうに水を飲み、炎天下に身を晒すなどは避けながらも、知らず知らずに意識が朦朧とする、そんな状況が月末に来て起こってゐる。これは剣呑だ。いわば未知の世界、日頃から元気印を誇り五体は満足なるを以って常とする身には、これは鵺にも等しい怪物である。

確かに膝の手術をして足取りに不安を覚へたことはある。だが、それも術後の鍛錬よろしきを得て、膝が原因のふらつきは最早ない。それが妙にぐらっと来るのだから真面じゃなからう。計ってみれば熱は平熱、ぐらりは神経だらうか。三半規管に障りがあって平衡感覚に異常が起きてゐるのか、などなど。その間、気温は三十五、六度、悪い時は七、八度にもなる日が続く。これが月の半ばから二十日前後まで絶え間なかった。巷では熱中症の被害がコロナ禍と競うやうに増える。

熱中症は昔なら霍乱、元気者が病に伏せるのを鬼の霍乱と云ったが、つまりは日射病のことだ。外出には帽子を被れよと、幼い頃にはさう言われながらも結構気ままに遊び回ったが一向に罹らなかった。それが近頃はこれで死ぬ人が結構出てゐるのを見れば、どうやら太陽からの熱つまり日射の量が増えているに違いない。地球温暖化と云ふではないか。太陽熱が上昇して今や鬼ですら霍乱になるのでは?

成る程、たしかに一理がある。鬼でも罹る霍乱なら罹ってもおかしくない道理だ。膝がどうの三半規管がどうの、五体の満足不満足を案ずるまでもなく、霍乱いや熱中症がグレードアップしたことに根元の原因があるらしい。

ふらつきながら、そんなことを考えてゐた。ふらつき程度で済んでゐるのは元気な証だ、などと気休めながら、一向に下がらぬ気温計を睨む日々が続く。俄かに首相が辞任するという、時ならぬ報道で巷が騒ぐ中、気温は駄目押しをするかの如く七度八度と高止まりする。

それが今日、月の末日三十一日になって、朝からの東風が一気に気温を下げた。体感では三十一、二度だらうか、辺りに一気に快気が溢れ塩辛蜻蛉がいくつも舞ふのが見える。微かな秋気が漂ふ。それを機に、何とあのぐらりとふらつきが霧消した。三半規管がどうのは気にならなくなった。元気印が戻ったのである。考へることも、まして書くことなど思ひもよらなかった気持の萎えが癒へた。そんなこんなで、ふらついてゐた日々のことを先ずは一筆、と綴ったのが本稿だ。言葉に揺らぎが残っていたら、それはあのぐらりのせいだとご寛恕あれ。

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