いずこぞ、日本(28)

ボイシに着いてからまだ数日、辺りの物見遊山は念頭に浮かぶ筈もなく、九月の新セメスターまで、私はトムを頭にディック・シュミットとのトリオで大学構内の清掃から整備整頓、折から新築中の体育館の工事現場にも立ち込んで働いた。

秋からの学費は当然ながら帰りの船賃を積み立てねばならぬ心理的な重圧からか、食欲より働く意欲が勝ち、奇体な話、手にするドル銀貨で飯を食う気にならず決まってハーフ以下の小銭で済ませていた。

学舎の北端に図書室がある。「館」とは言えぬほど小振りで、やはり「室」と呼ぶに相応しい楚々とした図書室だ。ある日、私はここで母国日本のか細い「立ち姿」を見た。大袈裟に言えば日本の矮小さを見知ったのだ。その経緯は後の段落に譲ろう。

その日、私は図書室の床のブラシ掛けからワックス磨きの通し作業を任された。生来の器用さが手伝って、すでに床掃除の基本技は修得し終わっていたころだ。短期間に上達したのは意地っ張りと執念の賜物だ。いまになって思い起こせば、何といじらしいことか、素早く会得して金にしたいと言う一心だった。作業はこんな案配だった。

バナナオイルを吹き込んだモップを縦横に押して埃を拭き取る。石けん水を撒いて回転ブラシ(この電動回転ブラシを手懐(てなず)けるのに一汗掻いたのも今は懐かしい思い出だ)で磨き回る。モップで水気を取りすべての窓を開けて乾きを待つ。乾いた床にワックスを塗る。トムがよく言っていたものだ。「水気が残っているとワックスが白濁して残るぞ。」と。シッカリ乾いた床にワックスを掛け、最後にこれも電動のポリシャを掛ける。これがまた回転ブラシ以上に馴らしに骨が折れた。手元のハンドルで微妙にコントロールして回転面の「飛び」を抑えるのが難しい。器用を自認する私がこれには手こずった。だが、上手く捌いて床面を踊るように磨き上げる作業は存外面白いものだ。

トムに言われた通りワックスの乗りを考えて、私は床の乾燥に十分な時間を掛けようとモップで拭き取った床をそのままに蔵書庫に入った。ここはバナナオイルとダスティング(埃落とし)だけで大掛かりな清掃作業はない。床のモップ作業を済ませ書架のダスティングに掛かった。

本には目がない私だ。壮大な書籍の海に先ず目を奪われ、何時とはなく仕事の手が止まった。見よ、当然ながら棚から棚へ英語ばかりの書籍が詰まっている。アメリカに来た以上は右も左も英語尽くしは覚悟の上だったが、目前に広がる横文字書籍の海を前にそれまでの観念的な思い入れは瞬時に霧消した。覚悟どころではない、英語は最早勉強や飜訳の対象ではなく生きる手段、飲み食いの「ブツ」になるのだという強迫感に足元を掬われるのを感じた。

仕分け別の書籍名を追いながら、私はふと考えた。さて日本に関する書物はどれほどあるだろうか。先般干戈(かんか)を交えたばかりの國ではないか、日本関係の書物は政治経済から社会情勢まで程々あることだろう。分類を辿りながら東洋をキーワードに部屋の一角に辿り着いた。

印度、支那、フィリピン、東南アジア諸国、豪州とオセアニアに関わるタイトルが見える。流石に印度、支那関係が多い。言わずもがな、私の眼はJapanの文字を探してタイトルを漁る。ない。見回したところ、見当たらない。十八世紀半ばに支那へと辿り着いたアメリカ商船The Empress of China(確か中国皇后号と言ったか)の経緯を物語る本、例のパール・バックのThe Good Earth(大地)など支那関係のものが矢鱈目につくのに日本に触れるタイトルが一向に見当たらないのだ。昨日まで戦っていた国だ、ない筈がない。他に日本専門の棚でもあるのか?拘って調べて見たが、それもない。

幼時、小国民を自認していた私は大人たちの影に隠れて敵国アメリカを強烈に意識していた。サラトガやレキシントンなどの軍艦名からグラマン、カーチスなど飛行機の名前まで、人名ならルーズベルトは言うに及ばず「いざ来い、ニミッツ、マッカーサー!」などと言葉遊びにも興じた。終戦の年、ルーズベルトが13日の金曜日に死んだと聞いて人並みに「ずるずるベルトのベルトが切れた!」と燥(はしゃ)ぎもしたのだ。戦時下、アメリカのすべてが日本人の意識に強烈に巣くっていた。私は考えた、「アメリカ人の対日感覚はこんなものだったのか…」。書籍の数で言うのではないがこの意識の乖離はなんとしたことか、そう鬱(ふさ)ぎ込んだのを覚えている。

そのことに苛(いら)ついた自分の心象は思い出すにもうら悲しいが、やがて書架の隅に遂にある一冊を探し当てた時の言い知れぬ虚脱感は今でも鮮烈だ。The Tale of Genji、いわずと知れたウェイリーの名訳「源氏物語」。見つけたぞの感激とせいぜいこれかの軽い落胆は、何とも形状し難い澱(おり)となって私の深層心理に淀み落ちた。

田舎とはいえ仮にも大学の図書館にまともな日本関係の本がない。実は源氏以外にも他に二冊、どちらも他のカテゴリーに紛れて見つかったのだが、いずれもいまはタイトルも記憶していない。ただ、いずれも政経でも社会科学でもないマイナーなタイトルだったことは確かだ。

日本の影が薄い。あの日あの時、母校の図書室で受けた衝撃は後に余波となって私の意識に巣くい増殖し、長じて実業につきゆとりがつくや、すでに拡張してBoise State Universityとなった母校の図書館に日本関係の図書を寄贈することを思い立つ。その間の経緯はいずれ別稿を設けて語ろうと思う。

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