オレゴン・トレイルを逆に辿る(19)

そう、「事件」が発生した。わたしの黄色のスーツケースがどこやらへ運び去られたのだ。何ぞ大袈裟にというなかれ、アナウンスが聞き取れぬことに過剰反応したわたしは、あわれ動転していた。スーツケースがない、行く先のボイシ(Boise)を表示したバスが見当たらないことで不安感が極度に増幅した。

あの時の焦燥感は尋常ではなかった。脚が竦む思いがした。それはそうだろう、上陸しょっぱなの「試練」だ。いまにして思えば、それがアナウンスが聞き取れないというだけの「不具合」から起きたドタバタ劇だったのだ。それがあの日、あの時には大事件に思えたのだから、気恥ずかしい、甘酸っぱい思い出だ。

さてその事件だが、ある機転から一挙に解決した。それもいま思えば恥ずかしい話なのだが、そんな機転が浮かんだことを愛でてほしい。

それはこうだ。わたしはまずは黄色のスーツケースを追った。スーツケースが鮮やかな黄色だったことが幸いした。その「黄色」を頼りに、わたしは林立するバスの群れを縫って回った。そして、それが載せられた台車を発見した。わたしは「黄色」を凝視した。立ち止まって思った。「この「黄色」の行方を追うことにしよう。」

果たせるかな、ややあって係りの人間がその台車を動かし、あらぬ方向へ押して行く。わたしは、ひたすらそれを追った。係りはあるバスに近付き、横っ腹を開けるや荷物を押し込み始めた。「黄色」が押し込められたのを確かめてバスの前に回り、行き先を見た。ボイシではなく知らぬ地名だ。ボイシは当然ながら途中駅だったことに、その時気付いたのだ。迂闊である。わたしはその地名を記憶、そのバスの場所を確かめて、やっと正気に戻ったのだ。

一件落着である。それでも、乗車してからのわたしは「事件」の余波に悩まされ、それから途中駅で停車するたびに、その都度「黄色」の在処を確かめる衝動に駆られて、停車駅ごとの物見遊山などは思いもよらず、飲食もままならぬ旅を強いられたのだ。いま思い起こせば、なんと初々しい経験をしたことか、わたしの苦学記のしょっぱなの「華」だった。

閑話休題
Frontier という言葉に、アメリカ人は陶然とする。西へ西へ、かつてpioneers たちが一途にごり押し進んだ国土拡張の最前線だ。いまは宇宙開発に技術革新に、アメリカ人はこの言葉を鏤(ちりば)めて成果を誇る。その志やよし。だが、アメリカ社会は、その裏にインディアン哀史の通奏低音を聴きながら、この言葉が包含する気概を動力として発展してきたのだ。

そのルートのひとつ、ミズーリからカンザス、ネブラスカ、ワイオミング、アイダホを経てオレゴンまで、各州を貫く2170マイルのルートがあった。オレゴン・トレイル(Oregon Trail)だ。アイダホはボイシが通過点で、往時ボイシ砦があった。地元の民族博物館には当時の幌馬車が往時の様子を彷彿とさせる。

さて、わがグレイハウンドはそのオレゴン・トレイルを逆行するルートを東へ向かった。「黄色」を気にしながらのバスの旅は、後年見聞きする西部開拓の史跡など、なにひとつ気付くことなく行き先のボイシに着いた。着いたとは言えかし、その実「黄色」が降ろされたところでバスを降りたというのが現実だった。

わたしは、こうして「苦学史」の事実上の第一章であるボイシに辿り着いた。出迎えてくれた恩師夫妻が後に述懐するに、”Yasu, you were so nervous stiff!” だったとか。兎にも角にも、長年のアメリカ留学の夢が実現、その幕が上がった記念すべき日だった。

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