圓朝の英語

落語が外つ国人たちに分かるかどうか、つまり英語になって落語はその語りの文化の味ひを遺せるかどうか、これは翻訳家の私には矢鱈魅力ある命題だ。フジヤマゲイシャの奥に広がる日本文化の粋、落語は日本語の多彩な語感を目一杯弄ぶ言葉の芸だから、味ふ境地に遊ぶには並々ならぬ日本語を操れねば外つ国人には無理だらうと云ふ定説は正しいが、其処を掻い潜って手をつけたのが古典落語十二席英訳のプロジェクトだ。

「心眼が開いた」をご参照ください

その第一弾、三遊亭圓朝の創作「心眼」を速記から訳し起こしたものをキンドルから出して巷の反応を見ていたところ、数日前にオール5のコメントが英語で入っているのを読んだ。その内容から落語の何たるかを知っている外つ国人のようで、心弾む思いがする。まずこれをご紹介してそんな思いをシェアしていただこうか。

I have been looking for a translation of Rakugo stories for years now, and this is the first I have found! Rakugo is a beautiful tradition of comic storytelling that is absolutely unique. There is nothing that even begins to compare in Western culture. That may be why the stories have not been translated and published in English. However, because it is so different, Rakugo has a special kind of appeal to Western audiences. Whether you are studying Japanese culture and storytelling or want to read a short, but immensely entertaining story, this book is definitely worth it. I hope that I will be able to read more books in this series and from this translator in the future.

如何だろうか。落語の英語完訳は初めてとのことだが、巷に似たものはあるにはせよ、古典を真っ向から、それも速記から直に訳出したのはたしかに皆無だったから、この仕事はほどほどに意味があると自負してゐる。

さて、「心眼」の原稿は圓朝口演の速記から訳出してゐる。語り口には臨場感が溢れ、随所に圓朝の口調が聞へる。率直にこれは英語は馴染まないと思った。筆を投げやうとしては考へ直し、半ば諦めてはまた読み直した。その過程でふと感じたのだ。孝子伝など英国ものをよく読んでいた圓朝、ならば英語が巧みな圓朝を幻想して語らせてはどうか。

そう気付いたとき目先が開けた。英語で語る圓朝ならこう云ふだろう、ああ云ふだろうと思い込んだ途端に筆が走り出した。それからは一気呵成、見えぬ目で目覚めた梅喜が溜息をつくオチまで二日ほどで訳し切った。

圓朝の英語がどれほどだったか、知る由もない。ないが、滑らかに喋れたと幻想して彼の速記が英語で生き返った。これはわれながら秀逸な発想だった。噺家に英語で語らせればいいと云ふ感覚は今後の仕事に大いに役立つ筈だ。

次が読みたいとのご所望だから、近く第二席を載せる考へだ。名作「井戸の茶碗」を志ん生に語らせるつもり。隙間だらけの志ん生が英語でどう語るか、訳す方も読む方も相当な話になるはずだ。

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