方言と品位ー通訳の場合

言葉には一国共通などと云ふものはなく、標準語があって地方の方言と云ふものが必ずあるものだ。うっかりすると標準語などがまったくない、方言の寄り集まりと云ふような処もある。断言はできないがアフリカなどは恐らくその伝だらう。

その点、日本などは明治以来の教育制度の余慶もあり、標準語らしいものが成り立ち、品位が問われる公的な場での日本語はそれが使われてゐる。話し言葉もNHK辺りの「語り」が日本語の発音、イントネーションなどの標準になってゐる。通訳は話し言葉を操る職人で、母国語は標準語に通じことが動かせない条件だ。対(つい)の外国語にしても標準とされる言葉の蘊蓄の有無を問はれる。ともに品位を欠く言葉遣ひはご法度だ。

日本語を流暢に操る某アメリカ人がゐる。名前はど忘れしたが、日本語の機微に通じた語り口は鮮やか、さらに味ひさえある。彼の話す日本語がじつは生粋の山形弁で、語尾などに素朴な地方色を醸し出す処が何とも云へずイケルのだ。日常の会話などはさぞや得意だらうし、場を沸かせること請け合ひだ。しかし、彼の巧みな日本語はそのままでは真面目な通訳には使へない。ここが本稿のテーマだ。

方言をいたぶる気は毛頭ないが、山形弁に限らず真面目な場での通訳に方言は馴染まないとしたものだ。商売の話だから大阪弁でいいだらうと云ふわけにはいかない。。それはそうだらう。話が真面目乃至は深刻であればあるほど、さわりの部分が大らかな訛りで語られては堪らない。

日本人の通訳の場合、日本語は大方標準語を喋れるとして、英語はどうかが問題になる。習った英語がマトモかどうかが問題で、ひと昔なら英語を学ぶと云へばとりあえず学校で、金と時間があるなら英語に特化した学校でブラッシュアップするのが常識だった。だから、大方はbookishで正確一途な仕事振りがよしとされたものだ。

ところが昨今、この英語学習パラダイムが様変わりして、街中のカフェで誰彼となく先生を選んで会話から話し言葉を覚へるとか、一、二年を海外に過ごして、どうやら英語が喋れるようになったのをいいことに、通訳らしき仕草をする輩が多くなってゐる。軽い社交的な場での「通訳」なら、おやようこんちはレベルの英語力でもよからうし方言も愛嬌になる。だが、これはもう通訳などではなく太鼓持ちの領分だから、論外である。

閑話休題。世に手練手管と云ふものがあり、上手の匙加減と云ふこともある。方言でも一流の通訳が小技として駆使すれば、結構面白いかもしれない。混み入った話に目鼻が付いた瞬間に通訳が放つ一片の方言が、日本人側の肩揉みとなり、ふと流れる和みがひと匙のウイットになってシャンシャンとお手打ちなるかも知れない。一場の笑ひをとる意味で、方言はツールになると云ふ理屈だ。だがこれは手練れの通訳の話で、本稿の筋には馴染まない。

話を戻せば、先ほど触れた品位の問題が、じつは通訳では大いに深刻なのだ。日常の会話では何の抵抗もなく通じてゐるからといって、文脈でyou ain’t gonna make it stickなどと口走っては困るのだ。どんな話題にも相応の品位は保たねばならぬ。言葉では話法に品位の階層がある。間違へると、通訳の言葉遣ひに、背広に下駄履きの異相が見える時があるのが恐ろしい。

私は外交の現場で丁々発止の通訳に何十年の経験がある。その経験に照らして、若い後輩たちの苦労がよく分かる。本稿は方言云々の話を手掛かりに、品位と云ふ通訳の現場の機微に触れたつもりだ。僅かなりともヒントになれば嬉しい限りだ。

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