スターン先生のこと:その2(46)

スターン先生のお宅へは、さう、都合四、五回は参上したらうか。独りでお住ひのやうで、家の外回りに男手のいる作業があり、これ幸ひと小まめに捌いては場を取り繕った。

何せ仕事相手のトムとは勝手が違ふ。大学が始まるまでの暫しのオリエンテーションに、とスターン先生との時間を考へてくれたチェイフィー先生のお気持ちは有難いが、筋違ひの物理学者と真っ当な会話を弾ませるほど言葉も気持ちもまだゆとりがなかったのである。後になって知ったことだが、スターン先生はすこぶる付きの日本贔屓で、私のことを聞かれて、ならば私がと申し出られたのだ。

何気ない会話で、以心伝心、先生の日本好きは手に取るやうに分かった。とくに華道への憧憬をしばしば話された。緻密な部分を伝へられないもどかしさに歯噛みしながら、日本のあれこれを話した。物理学者だけに広島長崎への原爆投下に思ふころがあってのことか、と若気の勘ぐりもしたものだが、其れを聞き糾すにも言葉が如何にも貧しかった。話のどこかに原爆の「げ」でも出るかと気にしたが、さう云ふこともなかった。

戦後まだ十年余のこと、アメリカ人の対日観はなおささくれ立ったものがあったから、敢て選んでアメリカに留学してきた日本の若者への思ひやりが、先生の言葉に滲んでゐた。言葉ばかりではない、日常の立ち居振舞いの常識を話してくれた。食卓をめぐるdos とdon’tsを実地の食事で示唆してくれたのが滅法助かった。箸一辺倒の日本流から銀食器の世界への乗り換えは、無骨の日本男性には大いに苦手だったからだ。まさにタイミングのいいオリエンテーションだった。

其ればかりではない。スターン先生は私に車の運転まで教えてくれた。日本では円タクにも乗ったことがない私が、何と本物の車を運転する事態になった。手先の器用こそ自認してはゐるが車の運転までは、と大いに不安だった。物理だからものの構造には詳しからうが、掛け値無しの初心者にどう教へやうと云ふのか、とヒヤヒヤものだった。

ところが案に相違して、毛ほどの不安もなくこ一時間で見事運転を会得し切ったのだ。先ず先生が思ひのほか磊落で、多少の不手際に目くじらを立てず、時にアクセルの踏み過ぎにも平然とやり過ごしてくれた。それに私自身が運転と云ふ芸の習得に乗り気だったことがあって、クランクまでは行かぬまでも平常の運転技術が身についてしまったのだ。さすがは日本人だ、と云ふ先生のおべんちゃらも少なからず手伝ったのは云ふまでもない。

ほぼ三週間ほどだったらうか、私はスターン先生の采配で日常生活のかなりの知恵を身につけた。思へばチェイフィー先生に先見の明があったのである。車の運転こそ直ちに役には立たなかったが、アメリカ流の箸の上げ下げに十分間に合う生活のノウハウを身につけた。

あと二日三日で講義が始まるある日、食事に招かれた私は、おかげで余裕をもって日々が送れると心から礼を述べた。あれから半世紀余、スターン先生と過ごしたあの頃が懐かしく思ひ起こされて胸が溢れるのである。(その3に続く)

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