噂と民主主義

言葉や文字に過敏な質だからだろうか、不図、噂という漢字の由来がしきりに気になる。口偏はよしとして旁(つくり)がなぜ尊いのか、何か曰くありげでならぬ。うわさとは謂わば巷の流言飛語、陰口から評判までで巷の声と云ふ意味合ひが相場だから、それが尊いものぞと云ふ語感が示唆的で趣がある。言海を繰って原義を突き詰める無粋は止めて、この漢字をじっと見つめて考へ込む。

古人がこの漢字を思いついた因縁に思ひを回らす。巷の流言飛語を厭わしいとはせず尊きものと意識した裏には、この漢字を用ひることで何やらうわさの本質を示唆していたのではなからうか。ひとつには、知恵を求めるなら万書を漁るより巷のざわめきに耳を傾けよとの教訓か、または、ことに迷ったら悩まず人の群れに紛れて見聞を深めよとの生きる知恵か。巷のざわめきに余程の価値を観なければ、よもや口偏に尊いとは書くまいから。

民主主義とやらについて、私見だがこれほど非能率的な仕掛けはないと思ふ。衆愚とはよくぞ言った。噂の伝で云ふなら、将に巷のざわめきを材料に仕組みを考え、それを金科玉条に物ごとを采配するのが本義だから、おしなべて世は平らかになるが、唐突や意外性の妙は絶えてなくなり、ふと浮かんだ妙策が採用される機会とてなきに等しい。巷に溢れる口偏こそが尊いから、ここでは際立って優れた才人の発想などが世に持て囃されることは稀だ。

その民主主義が内蔵する論理破綻の危うさ、哀れさがここにある。巷の騒めきに耳を傾け、個の存在を尊び私を守る余りに公を軽んじながら、実は時に萌芽する燻銀の才覚が大樹に育ち切らぬ恨みが残るのだ。大谷崎は中学で飛び級して若くしてその文才が開花した。昨今、この例は皆無、哀れ、芥川直木に能う文才は途絶して久しい。

谷崎潤一郎

見よ、巷に阿(おもね)る余り読むに値する文学はすでに枯渇し、素人に等しい有象無象が「作家」として跋扈してゐる。政(まつりごと)の世界にして然り。巷に忖度して要の国法を正し得ぬ為体(ていたらく)を愚と云わず何と云わんや。衆愚を統べるに愚を以てする愚とは自己撞着も甚だしい。

さて、話を振り出しに戻さう。巷の騒めきを俗に噂と云ひ、それを尊きものと意味付ける謂れは如何。百歩譲ってこじつければ、物事はすべて危うきものぞ、危うきものだから手を携えて当たるべしとの諭(さとし)か。「皆で渡れば怖くない」伝の知恵かも知れぬ。ならば、手を携えずとも独断で当たらん才を育てる英知は絶えよう。

若くして苦労を買ってまで負う生き様を敢えて選んだ筆者の思ひは、実にここにある。何事もまず己の才覚を以て当たることにこそ生きる意味がある、と思ふからだ。だから、民主主義のメッカ、アメリカでその矛盾を実体験し、爾後専らはそれに逆らって生きて来た実感から、筆者は総じて巷の騒めきは敬して遠ざけるものと悟って生きる術を実践してゐる。

ならば、噂の口偏に尊い意味合いは、逆説ながら筆者なりに当を得てをる。85歳を半ば超えた今、改めて噂の尊さを生かしきる知恵を会得した境地を愉しまんとしてゐる。

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