スターン先生のこと:その3(47)

スターン先生との触れ合ひはこの次期、つまり初めての大学生活に入る直前のひと夏が、大学生活へのオリエンテーションの意味から印象深かったのだが、思ひ出すままの話だから、兎角取り止めがなくなるもどかしさはご容赦いただきたい。

さて、大学は年二学期のセメスター制(4月~9月、10月~3月)で、原則授業は春夏各学期(半年間)で完結する仕組みだから、スターン先生の物理は十月からの半年になる。当面秋のセメスターの学費を稼ぎ終えた九月末、人文系の科目は程々に読むものは読み、さあ来いの気概が沸いていたが、先生には悪いがこの物理には何の対策も思ひつかず、ぶっつけ本番の開き直りしか手も打てなかったのだ。それでも、僅かな間ながらオリエンテーションを頂いた手前無様な振る舞ひもできずほとほと弱り切ってその日を迎へた。

物理の初講義、あの日は今でも忘れられない。それまでにhumanitiesの講座でギリシャの話、国語(英語)でThe Glass Menagerie(ガラスの動物園、テネシー・ウィリアムズ)の曰くなどを聴いて、英語による授業に細やかながら慣れてきたものの、物理では語彙の違いもあらうかと、私は全身耳にして先生の言葉に集中した。将に鬼が出るか蛇が出るか、の心境である。

それが暗に相違したのだ。初講義の先生の話は、専ら物理とは思へぬ日常の現象に触れ、生活の中の様々な原理原則の話に終始、至極簡単な代数の例題を引き合ひに出して、ものの理屈のあり様を語られた。半世紀も経った今でも、その一部が思ひ出されるほど私にはあの初講義は印象深い。

さうだ。その簡単な代数の例題を、先生は私に解かせると云ふ奇策に出られたのだ。鶴亀算に毛の生えたような題だったが、幸い私は瞬時に解いてほっとしたのを憶へてゐる。先生は得たりの反応で、一見して満足気だった。要らぬ緊張で硬くなってゐたのだろう私に、巧みに肩の力みを解させる思ひやりだった、と今でも先生に感謝してゐる。

ところで、その代数の話が切っ掛けになって、後日私はアメリカの学生恐るるに足らずや、と思ふやうになる。スターン先生の物理はそれからも随所に数学問題を絡めて進められ、その都度私が当てられる頻度が高かった。のっけから当てられることもあったが、当てられた他の学生が解けずに私に回され、私が見事に解くというパターンが結構あったのである。

さうかうするうちに、私は自分の数学的な能力を再認識する意識が芽生え始め、慌てて打ち消したものだ。そんなはずはない、身を入れて数学をやった覚へがないのだから、得意なはずがないではないか。そこで私ははたと気付いた。合格点さえ取れれば、と力を抜いていた浦高の数学レベルが途鉄もなく高かったに違ひない。すれすれで通ってきた私の数学ですらスターン先生の物理が捌けた現実に、母校の尋常でない水準を端なくも遥かアメリカの地で実体験したのである。

思ふに、私はスターン先生の物理を母校浦高を黄門の印籠にして乗り切った。お世辞でもあらうが、先生は自然科学をmajor にしてはどうか、と真顔で問はれたのだから人の世は奇態なものである。巡りめぐって音楽にのめり込んだ私は、その後スターン先生とは自然と縁遠くなったが、アメリカ生活最初の一節に刻まれた先生の思ひ出は、八五歳も半ばの今も、なお鮮やかに思ひ出されるのである。(了)

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