其の四 Beautiful Dreamer

かつて文部省唱歌と云ふものがあった。明治以降、西欧化の波が小学校の音楽教育にも押し寄せ、アイルランドやドイツ、アメリカ民謡の多くが換骨奪胎されて国定教科書に採り込まれた。「庭の千草」や「たゆたふ小舟」など、子どもたちは外国曲とは知らずに教えられ楽しく歌った。その裏には、翻案から翻訳まで関わった高野辰之などの尽力があった。

さて、文部省唱歌に取り上げられたアメリカ曲の中にフォスターの作品が多くある。どれも歌詞の翻訳に技が凝(こ)らされて、フォスターの名で取り込まれた。「ケンタッキーの我が家」や「故郷の人々」、「オールドブラックジョー」などが思ひ浮かぶが、私は曲想と旋律の妙で「夢路より」(原曲名:Beautiful Dreamer)がとくに記憶に残る。白鳥の歌とも云える美しいセレナーデで、フォスター晩年の傑作だ。身勝手な想像だが、生きてゐるフォスターに最たる自信作はとを問えば、彼は十中八九この曲を選ぶに違ひない。

「夢路より」の夢見る人は、若き日のフォスターが深く想ひを寄せる女性なるべしと思はせるほどに、旋律が類稀(たぐいまれ)に情感豊かで、それを際立たせる曲の構成がまた絶にして妙だ。米寿の身が唄ふには荷が重いが、そこは年寄りの冷や水、快くお聴き捨て頂ければ幸甚。

・・・・・・・・・

何たることか、「夢路より」が深く想ひを寄せる女性を描いたとは、実は私の思ひ違ひだった。「夢路より」が作曲されたのは1862年、その二年後の1864年にフォスターは37歳で亡くなってゐる。晩年は細君のジェーンとは離婚、ニューヨークのアパートで貧しい一人暮らしをしてゐたフォスターはアルコール依存症で、日々酒に溺れる荒んだ生活だったさうだ。Beautiful dreamer, wake unto me(美しい女《ひと》よ、夢から覚めておくれ)と呼びかける情感はどこから生まれたのか。その旋律には生活苦の影など微塵もない。

思へば、亡くなった年恰好がモーツアルトやシューベルトと似てゐる。生活の乱れもそっくりだ。それ以上の憶測は避けるが、生まれた作品の底に流れる共通な何かを感じずには居られぬ。1864年1月のある朝、酔ったはずみで転倒し、頭をぶつけて大怪我をしたフォスターは、病院に担ぎ込まれたが3日後にそのまま帰らぬ人となった。

戯れ唄草紙に「夢路より」を唄ふことを考えた時は、迂闊にもそんな事情を知らなかった。想ふ女性(ひと)に目覚めよと呼び掛けるナイーヴな若者の情感を歌ひ上げるに如くはない、と無邪気だった。それと知って喉が引き攣った。あれこれと思ひ倦ねて拵えたのが、お聴き頂くこのヴァージョンだ。旋律を捏ね回すことはできない代わりに、思ひ切ってテンポを落とし、甘美なセレナーデを挽歌宛(さなが)らに辛唱した。所詮は老爺の戯れ唄だが、苦悶するフォスターの面影を偲んでの細(ささ)やかな試みだ。ご笑聴くだされ。

♪Beautiful Dreamer (2022年1月録音)

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