「子供を三人産んで」をめぐる愚論珍論

近ごろ珍妙な諍(いさか)いがあってもの書きには格好な噺のネタになっておる。子供を産む産まぬをめぐる噺なのじゃが、およそこんな経緯らしい。

誰それとはいうまい。政権与党の某男性議員が曰く、若い者は努めて子供を産んでほしい、それも三人以上は産み育てて欲しい、そうせぬと先々ひとさまの子供の税金で老人ホームに行くことになるぞよ、と。これに同党の某女性議員で現政権の閣僚が噛みついて曰く、子供を産むのは女性が命をかける作業だ、その苦労をよそに三人以上は産めよとはなにごとか、わが党は猛反省せねばならぬ、と。

日本の人口が減っている現実と介護問題が抱える山積した問題を思えば、この男性議員の言い草には一理があり、自身で産みの苦しみを味わったこの女性閣僚の剣突(けんつく)も至極もっともじゃ。なら何故(なにゆえ)の諍いか。子供を産む、いや子供を持つことの是非の話ではなかろう。

わしはこんな風に思うのじゃ。大上段に振りかぶって高齢化社会の有り様を語る前に、子供を持つことの意味合いに齟齬がある、あるから言葉遣いまでが行き違う、違うから珍妙な諍いが産まれる、と。当男性議員にしてからが、三人以上は産んでくれなどと口走る口で、なぜ三人の子宝に恵まれたらと言えなかったのか、それが珍だというのじゃ。

当女性閣僚も出産の苦労を嘆く前に子供を産み育てる女性の特権、男性などは間違っても味わえない子を産み落とす天与の権を誇れないのか。彼女の子を授かるまでの苦労を漏れ知っているからこその苦言じゃ。

世にお産の軽い女性は多いと聞く。俗に犬腹と言うて安産から子沢山に恵まれるような女性には三人など軽い軽いというじゃろう。逆にダイエットとやらで姿形の美醜を競う余り出産という天与の権を、あわれ、まともに行使できない体になり果てている女性も増えているらしい。その辺りの実情がこの諍いの根っこなのかも知れんのじゃが、それは推測の域を出ない。

話を戻せば、この珍奇な諍いは煎じ詰めれば一欠片の社会現象に見えてくるから妙じゃ。子供が少なくなっているからといって子宝ではなくなった道理はなかろう。将来の介護事情まで斟酌して子供の有無を語るのは如何にも芸がなかろう。問題を語るにせよ子宝感覚を喪失してどうなるのじゃ。出産率低下の原因が奈辺にあるのかこそ議論されるべきじゃろうに。

女性のダイエットに問題があるならそれに至る原因が存外に審美眼の歪みだったりもしよう。戯れ言ながら、俗にいうおかめ風を美(よし)とした上古の審美眼を再認識しては如何?

要は、この珍奇な諍いは所詮言葉遣いの稚拙に端を発した凡人二人の茶番劇ということに収まる噺だ。いや、情けなや情けなや。

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