芝と盆棚

猛暑で芝が矢鱈に伸び、時ならぬ芝刈りをする羽目になった。十二日、日が落ちてからの小一時間、猫の額ほどの庭の芝を刈りきった。昨秋、老ひた桜を心なくも伐って、見事な芝一面の庭にしやうとの初一念の手前、この春は精魂込めて芝を育てた。どうやらかうやら、芝庭らしくなってお盆を迎えた。

明くる十三日、越生へ迎え火に出向き、例年のこととて車での迎え火も障りなく済ませ、盆棚の灯明に移して今年の盆となる。父母と弟の霊を慰める何時もの仕来り、伝統ながらよきものである。最後の母が亡くなって十年余、ひと昔と云ふが年月瞬く間に過ぎる。これからわが身が何年生きると指を数えるにつけ、過ぎたひと昔の短さに唖然として背筋が伸びる。秒針の刻みが聞こへる耳には、それがさらに忙しく響くのだ。

さて、わが家の盆棚は近頃自慢の細工物だ。わが愚妻が嬉々として組み上げる武蔵野国伝統のもの、真竹と酸漿(ほうずき)の季節感と云ひ、供え物の土俗感と云ひ、なかなか捨て難い作りものだ。ましてや、およそ伝統やらに疎くなり、己が家に先祖を迎えるなどは虚礼にすらなった昨今、貧しながら盆棚を組むなどはレアな仕草になった。

なかなか粋なものである。それと聞いて訪れる親戚の連中と盆棚を囲んで喰い呑み語り合う一時は、霊たちも人に帰って嗤(わら)いざわめく風情が察しられて、言葉に表せぬ快さを覚える。年毎にその感が強まるのは、八十五歳のわが身が既に足先程は彼岸にあるせいもあらうか。

芝庭もどうやら、盆棚も気なしか常になく上出来となれば、今年のお盆は欲目ならず一段と充実している。云ふなら、時ならぬコロナ禍、これを賢く凌ぎ切ればすべて世はこともなしとなるのだが、さて。

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