其の二 花の街

「この道」や「からたちの花」などの和風リートの作曲で知られる山田耕作は、群響(群馬交響楽団)の育ての親と云ふ側面がある。映画「ここに泉あり」でその経緯が語られており、彼の弟子の團伊玖磨が音楽部門を担当してゐる。

團伊玖磨には「夕鶴」と云ふオペラが知られてゐるが、筆者はそれを鑑賞しておらぬのが迂闊(うかつ)の限り。が、其の種の大仰な作品より耕作譲りの味のあるリート作品が好みで、中でも「花の街」と云ふ素朴な歌に惹かれる。然るべき詩に旋律を載せる仕来りはシューベルトが一頭地を抜いてをるが、耕作もその才が豊かで、伊玖磨はその衣鉢を次いできらりと光る感性が粋だ。

団伊玖磨 (1924年-2001年)

「花の街」

七色の谷を越えて

流れて行く 風のリボン

輪になって 輪になって

かけていったよ

歌いながらかけていったよ

美しい海を見たよ

あふれていた 花の街よ

輪になって 輪になって

踊っていたよ

春よ春よと 踊っていたよ

すみれ色してた窓で

泣いていたよ 街の角で

輪になって 輪になって

春の夕暮れ

ひとりさびしく 泣いていたよ

筆者はこの歌を最初にラジオで聴いた覚えがある。終戦からまだ日が経ってゐない頃、それも日本放送協会(NHK)の何かの番組のテーマ音楽として聴いた。その時は旋律だけ、後になって歌詞付きで聴いて、それが「花の街」だと知ったのである。まだ十代始めの多感な少年には、七色の谷を越えてと云ふ出だしのひと節に痺れた記憶がある。ソドレミと上向きの旋律に七色のが巧みに乗ってじんと来たのだ。これは、それ以来の愛唱歌である。

作詞の江間章子が、何処かでかう云ふ意味のことを語ってゐる。この街は幻想の世界で、終戦直後、荒廃した街角に立って夢を描いてゐたいっ時の思ひ、ハイビスカスが中空に浮かんでゐるのを見た、と。のちに旋律がついて幻想が更に深まった、とも。

少国民だった筆者の終戦直後の感覚は、無念残念の思ひに言ひ知れぬ虚脱感の織り混じった複雑なものだったが、この歌の醸し出す情感はそんな思ひを包み込む効果があったやうに思ふ。

戦後に歌詞の改編が横行したが、「花の街」も自虐意識からか手直しされて唄われてゐる部分がある。一節目の歌いながらが春よ春よに、三節目で泣いてゐた場所が街の角から街の窓に、それぞれ替えて唄われることがある。街の角とは作者の見た荒れた街角だっただらうに。童謡の「春の小川」などにも酷(むご)たらしい改編があり、世の自虐意識の異常さがしきりに嘆かれる。歌好きの筆者は、リアルタイムで歌ってゐた歌の歌詞が変へられてゐるのを見るたび、そそくさと元に戻して唄ふことにしてをる。

では、その「花の街」をしみじみ唄ひ収めて稿を閉じるとしやう。

2021年12月録音(86歳)

—Sponsered Link—

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 其の四 Beautiful Dreamer

  2. 其の三 海沼實の世界

  3. 前口上

  4. 其の一 お国のために

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

recent posts

JAPAN - Day to Day

Kindle本☆最新刊☆

Kindle本

Kindle本:English

Translations

PAGE TOP