遂に八十五歳、嗚呼

わがことながら明日を期して私は八十五歳になる。傍らでは四捨五入すれば九十歳だと茶化す愚妻もどうやら感慨深げである。ホームペイジの秒時計もいよいよカウントダウン、お読みいただいている諸兄姉がおられれば、4が5に変わる瞬間をぜひお見届けられたし。

歳をとることをどうとも思はぬ質だが、傘寿を越えてから積年や馬齢、晩節などの言葉が意識に去来するやうになってゐる。河原の石積みなら頂近く、載せやうによってはぐらっとくる心許なさを覚えるが如し。

野球の野村が先日身罷られた。同い年だ。あの世界では頼る人も多かったらしいが、某テレビのルポルタージュで、衰えきった彼の振る舞いに女房に先立たれた男の不甲斐なさをいやと云ふ程見せられて心底滅入り果て、斯くてはならじ、の心構えを固めたばかり。人とは分からぬものだ。

そう、八十代半ばに達しての感慨はとくにない。地元桶川にすら百歳台が十数人もゐると云ふくらいだから、この程度で年寄りぶってゐるのがむしろ噴飯ものだ。幸い近ごろペンもよく走り英語遣いもいよいよ堂に入ってきた感あり、書くこと翻訳することにも気なしか力(りき)が籠もってきた。年内にも数冊、キンドル化する意気込みだ。

八十五歳の誕生日前夜、もうひとつご報告がある。それは途絶えて久しいギターの復活(の兆し)だ。五年前の軽い脳梗塞で右側に微かな不自由が残り、右手の薬指、小指の不便がキーボードのp と@を打ち難くし、ギターの旋律創りの鍵、薬指から表現力を奪ってギターに触ることさえ拒んでいたのだったが、膝の手術の成功か愚妻の手料理のお陰か、何かがきっかけで末端の神経に機能回復が見られるのだ。

ギターは繊細な楽器で、左右の指先は均等にしなやかでなければいけない。それが何と、右手に呼応して左手の薬指と小指がかつての柔らかさを取り戻してゐるのだ。いま、ソル、ジュリアーニ、アグアドのエチュードを浚ってゐる。書きものよし、膝よし、ギターよしとなれば、これは時ならぬわが世の春である。

春と云へば、折柄、ジャガイモの植え時を知らせる小花が、庭の梅に付いた。不穏なコロナ騒ぎなど何のその、モグラ脅しの風車があちこちに舞うわが庵には、春はもう其処まで来てゐる。

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