木樵のアリア

コロナの年も十月末になって年の瀬も指呼の先、そろそろあれこれ振り返る汐時と筆をとって不図思ふに、忌まわしい年にしては此処に来てひとつ出色の出来事があった。これを記しておくことにしやう。

それはそれ、80代半ばで木樵の真似事を一本ならず二本までもし遂げたことで、これだけでもちょっと忘れ難い年になった。去年の今頃、老桜を伐った勢ひを駆ってつい先月、裏の大木を伐り倒した。都合二本の大木伐採に時ならぬ木樵技を発揮して、いま、コロナを余所に鼻歌でも歌ひたい気分である。

老桜の話はすでにご披露したが、裏の大木を伐った経緯はまだお話ししてゐない。この大木、何の木かを問われて答えられない。甲斐性ない話だが分からないのである。知らぬ間に間伸びしてお隣の敷地への落葉害がひどく、あれこれ詮索する暇も惜しく伐り倒したので、さて何の木だったか、と今更に首を傾けてゐる次第。欅ではなく樫でもない、矢鱈に成長の早い木だった。成長の早さなら桐だらうと思はれようが、桐なら軽く葉にも特徴があるからさうではない。木目の細かい結構硬い木だ。或いは楠だったかも知れぬが、今となっては素性不明の大木、いや詮無いことだ。

この大木は手前を金木犀に阻まれて北裏の家の方角へ二本大枝を伸ばし、重心がそちらに偏って手前に引けない状況だった。向こうへ落ちないように手前に引き倒すのが要領だから、まず手前の金木犀に綱で結んで「保険」を掛ける。結びながらしきりに考へる。地面から1メートル辺りに、南側へ落ちるようにV字の切り込みを入れ、中空の枝分かれした部分に綱を掛け、緊張させたまま鶏舎の鉄筋部分に結び、試みに引いてみるが大木はぴくりともしない。とても一人や二人の人力では手前に引き落とせるものではなささうだ。さてどうしたものかと考へこむ。

考えあぐねた頭に一案が閃いた。さうだ、車に牽引させやう。十数メートル先のNboxの後部に綱を結んで徐々に引いてみたが、動けばこそ。大木は梢枝の葉こそ揺らめかせはしたが幹は頑として動かない。車を手前に戻し繋ぎ直し緊張状態を保ち、日暮れを汐にその日はその状態で就寝した。

翌朝、遅起きの夜船をまだ降りもせぬあらぬ時刻に、突如揺り起こされた。愚妻である。聞けば、例の大木が夜中に自分で倒れたと云ふ。まさか、と半信半疑で行ってみれば、何と、かの大木が確かに願った通り南へどしんと倒れてゐる。半信半疑も何もない、確かに自力で倒れてゐる。さては、85歳の老躯の苦労を察して要らぬ手間を掛けまいとの思いやりか。倒れた幹にそっと触れて見れば、気無しか、倒れた瞬間の揺れが微かに掌に響いた。ほぼ奇跡の一件落着である。あの瞬間に覚えた腰が抜けるほどの安堵感は、とても忘れられない。

その日から、幹の裁断、枝葉の整理が日課になった。田舎ならではの枝木シュレッダーが砕き出すチップを畑に鋤き込み、程々を鶏たちの遊び場に撒く。吾から倒れてくれた名も知らぬ大木の思いやりを充分活かそうとて、格好な枝を輪切りにし、もぐら除けの風車の留め具に仕立てた。余談だがこの風車、鶏たちの産む卵とともに、最寄りの道の駅に売り出して結構な評判を頂いてゐる。

田舎に住めば、晴耕雨読の贅もあれば時ならぬ苦労もある。それに傘寿を越えれば、できぬ相談もあったりで晴れの日ばかりではない。それでも自然に直に触れる喜びだけは、悔しかろうが都会人に味わへない。まして、此のところの木樵仕事の趣はまず街中では皆無、傘寿越えには苦労だが、それだけにし遂げた妙味が格別なのだ。木樵暮らし佳きかな、である。

ところで、わが庵には伸び過ぎた柿の木がある。美味い甘柿が生るのだが、殆どが手の届かない中空にあって、柿取り竿の及ばぬ柿はすべて鳥たちの食い放題でじつに無念。とて、この木の剪定が焦眉の急なのだ。ままよ、木樵づいた勢いでこの秋、思い切ってこれも伐り込まうと目論んでゐる。この経緯は、また稿を改めてお読み頂かう。

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