認知度テスト考

自動運転が本格化したら運転免許はどうなることやら、とハンドルを握る愚妻がひと言。ならば今さら更新するまでもなかろうにと助手席の私が愚痴る。かねて予定の、免許センターへ向かう道すがらの戯れ言だ。

ご存知運転好きの愚妻にハンドルを盗られて、もう数年になろうか。私はまともな運転をせずとも不便はない。巷で高齢者の運転事故が増える昨今、車離れの言辞を弄しながら、
「ホンダに拘った車選びもこれからは好きにしてもいいぞ。」などと愚妻を悦ばせもしていたのだが、過日、83才の私に免許証返上か更新か決めよと迫る葉書が来て、ちょっと待ったと保留し、そして旬日が過ぎた。

その旬日に急遽更新に舵を切り、冒頭の車上の戯れ言に繋がったのだが、これには実は小粋なわけがある。私は百歳まであと2年まで生きた母に肖(あやか)って、百歳までの余命を想定して生き様を織りあげている。因果は知らぬが2日ほど前にその母を夢見た。助手席が移動する介護車を操りながらの刹那の夢だったが、それを運転する自分の振る舞いにふと思うことがあった。余命17年を助手席に安住することの切なさが俄に思われた。幸い五体自由の身、まして認知にはほど遠い感性に恵まれて何故の免許返上ぞ。

突如、やる気を起こしたのである。

そんな感覚で乗り込んだ会場の雰囲気は、私には得も言われぬ違和感があった。集まった高齢者に、腫れ物でも触るかのような担当者の物言いが場違いだった。あたかも年少組を扱うかの「手取り足取り」感が苛立たしくさえあった。番号札を頸に掛けさせる仕草、番号順に整列させ誘導する段取りなどなど、独断専行型の私にはほぼ要らぬお世話なのだ。

そんな扱いは講習会の流れに一貫していた。認知テストの仕組みは微に入り細に亘って年少組相当の扱いだ。一挙手一投足はすべて号令一下、僅かでも外れれば「カンニングと見なしますよ」とくる。

たしかにテストを受ける側にも高齢なりの杜撰さが見える。先を急ぐ余り「号令」などと聞けばこそ、さっさとページをめくっては「指示通りできなければ退室してもらいます」云々まで言わせる御仁もいる。

子供扱いされる老人の群れに混じって、私はひたすら切なかった。課せられる問いの愚劣さもさることながら、それにすらも対応できずに四苦八苦する者を手立てを尽くして合格させようするテストの不条理を思って絶句した。道理で路上で高齢者の事故が多発するはずだ。

もし、時計の図柄がまともに描けず、指示通りの時刻が表示できないことが運転能力の欠如を示す指標だと言うなら、また、特定数のイラストを言い当てられなければ運転能力に問題ありと言うなら、それを以て画然と免許返上を指示して然るべきだ。医師の診断書を取らせてまで免許を授ける必然があるのか。否、これは人権への行き過ぎた斟酌があるに違いない。思うだに愚かしい絡繰りだ。

数日後、二次講習を経て私の運転免許は更新され、返上か更新かのドラマは3年後に先送りされる。その間、俄にハンドルを握る斑(むら)っ気を起こすか、ショファー(chauffeur:お抱え運転手)付きの車生活に舞いもどるか、高齢者の運転事故が頻発する遠因を垣間見たいま、ここはひとつ考えどころではある。

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