Merchant’s Lunch (26)

私のアメリカ生活はトムとの触れ合いが入り口だったから、徒(いたずら)な身構えもなく、秋の開講まで淡々と日々是好日の時が流れた。横浜の埠頭でひしひしと感じた悲壮感も、楽しかるべき氷川丸船上の日々を苛(さいな)んだ孤独感もいつかな霧消して、私は身の回りの算段をつける余裕を持てるようになった。

算段といえばまず食事だ。初めの週にもらった小切手から幾許(いくばく)かの金額を開講までの日々の食事代として取り分け、以後の小切手は学費として右から左へ学務に納める手筈だ。なけなしの金額でほぼ二ヶ月の食費を賄(まかな)うには才覚がいる。何がいくらという知識もないから迂闊には食えないぞ、と、貧乏には馴れっ子の私も流石に考え込んだ。

Round House
大学の東側に丸屋根の食堂がある。形からRound Houseといわれ学生が入り浸る評判の店だという話はトムから聞いていた。ある昼時、一緒に行かないかとトムに頼むと、わしはかみさんのサンドがあるから、という。ならば、と私はひとりで行ってみた。

日本でも蕎麦屋が精一杯で、粋な料理屋には入ったことがない。ましてペニー銅貨からハーフ銀貨(50セント)まで小銭ばかりの財布で何とか凌(しの)ごうという身には、うっかり食事もできない道理だ。それでもその日は行きがかり上Round House に初詣と洒落込んだのだ。

入れば何ということはない、店は半月状のカウンター席と外輪の椅子席という気安い作りだ。おや見慣れぬ東洋人かと、カウンターの向こう側からの視線を感じながら窓際に座る。メニューを見ても品名よりは値段が気になる。最初だからと頼んだのが クオーター(25セント)ほどの Merchant’s Lunch という代物。めくら蛇に怖じずの心境で何でもござれと開き直る。コークがニコル(5セント)だから手頃だろうと頼んだ「料理」だが…。

Here’ you are. と出てきたものは、結構どでかいひと皿に盛り付けられた野菜やら肉の欠片やらの料理だ。日本ならひと皿料理とでもいうだろうか、まず量が半端ではない。以後のアメリカ生活で一貫して印象が強かったのが食事の量の多さで、この日のRound House での経験が私には第一印象として強烈に刷り込まれたのだ。

アメリカ風パンケーキ
その日の Merchant’s Lunch は量も味も大いに満足出来るものだった。なにせ日々の仕事がきつい上にまだ若い私には半端でない量はむしろ大歓迎ということころで、味もどれもこれも初もので物珍しさも手伝ってか旨かった。

Round House にはそれから金回りがよいときに行った。あそこで覚えたアメリカ風のパンケーキも忘れられない。目刺しにお新香、味噌汁にご飯で育った日本人には、あの甘ったるい朝飯は異文化の象徴だった。径30センチ厚さ1.5センチのパンケーキを三枚、間にバターをたっぷり塗り込み、トップにベーコンを敷き詰めてsunnyside up 二個、それにメープルシロップをどっぷり掛けた代物が朝飯だといわれて、私はこの世の終わりかと目を剥いた。

よくしたものである。私はそのアメリカ風のパンケーキを好物として以後自前で作ることを覚えたのだから、文化の刷り込みとは異なものだ。近ごろ日本の珈琲店などで出されるケーキタッチのパンケーキを見るたびに、私はRound House のあの見事なアメリカ風のパンケーキを思い出すのである。

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