「2.5次元」の話

つい先日、なんとも氣落ちのする話を聞いた。某テレビで見たものだから、目撃したというのが正しかろう。歳のせいだとされるじゃろうが、わしにはその裏に容易ならぬ現象を垣間見たのじゃ。わが日本が怪しげな方向に流れている…。

わしの幼い頃、確かに漫畫というものはあったのじゃ。田河水泡の「のらくろ」とか島田啓三の「冒険ダン吉」など、国威擴張(かくちょう)の下敷きはあったにせよ、子供たちがこぞって樂しんだ漫畫があったのじゃ。いまと違って主人公たちは漫畫の中だけで動き、人間が縫いぐるんだコスプレめいたことはなかったのじゃ。

それが今はどうじゃ、漫畫いやアニメの主人公いやキャラたちが、漫畫いやアニメの世界から抜け出て、人間たちに縫いぐるまれて動き回るという、なんとも異次元の状況が出現しておる。ここまでは、まあ許容範圍というか、わしにも「ついていける」話なのじゃが…..。

異次元と書いたが、この状況がなんと「2.5次元」現象として認知されているとなると、わしにはこれは最早ついていけない「事件」なのじゃ。三次元とは言えないかと2.5次元というこの現象、わしの見聞きしたところをご披露しよう。

アニメのキャラといえば、挙げれば雲霞(うんか)のごとく、語られるストーリーも千変万化、それぞれに熱狂したファンがついておる。そのキャラたちが人間の姿で出現、鮮やかに動き出したらファンたちはどんな反応をするじゃろうか?そこじゃ。それが実現したからたまらない。2.5次元現象という社會現象が生まれ、今まさに生々しく息づいておるのじゃ。

いわば役者の卵たちが、そんなキャラを縫いぐるんで、ストーリーの中そのままに舞台の上で熱演してみせる。「忍たま乱太郎」のだれそれ、それも一人や二人じゃない、さまざまな「生きたキャラたち」が舞台狭しと演じまくるのじゃ。壓巻(あっかん)は、それを鑑賞する観衆がほとんど2−30歳の女性、金切り聲を舉げて熱狂する様を見れば、わしなどは文字通り息を呑む思いなのじゃ。それに木戸錢は大枚7000円とか。「その金があれば、本が何冊….」などとはうっかり言えぬ状況なのじゃ。

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さて、わしの感慨はじつはその先にあるのじゃ。

ハタチ過ぎの若者たちが、藝と称してキャラの生きた縫いぐるみで演技に熱中する傍ら、その舞台に7,000円をはたいて熱狂する姿に、わしはある種の末世感を覺えたのじゃ。舞台には、いい若いものがすることに事欠いて、漫畫の主人公を舞台で演じることに熱中し、客席には花嫁修行もそっちのけに大金を拂ってそれに興じる女性が溢れている様に、わしには言いようのない寂寞(せきばく)感を覺えるのじゃ。

お隣りの何處かの國では、若者たちには二年間の兵役で刹那ではあれ規律と没我の時期を経験するとやら。キャラを演じるわが若者たちにそれがない。昔ファンだったキャラが「動いている」からといって、その舞台に熱狂する女性たちに訴えたい…..「あなたたちは、何か大切なことを忘れてはいまいか?」……生きる要の食事、それを支える料理の大切さを悟れば、大枚拂ってキャラ舞台に興じることがなんたる愚か、容易にわかるじゃろうに。

いや、分かっておる。反論は受けずとも分かっておる。それを承知での世迷い言じゃ。自由よ民主主義よとしたり顔に言うなかれ、勝手氣儘が自由じゃない。主となるには民は辨(わきま)えるべきことを辨えねばならぬ。キャラ演技にうつつを抜かすもよし、それに大枚7,000円拂うもよし、ただし、某一般社団法人が太鼓を叩いて、あえて「2.5 次元」と称して社會的認知を施し煽動するが如きは、わしにはいかにも合点がいかぬ。いずれキャラ演技の空虚を悟り、料理を忘れてその空虚に大枚を浪費する愚に氣づく若者が減るじゃろう、増えることはあるまいとわしは心から信じたいからじゃ。

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