知識と知恵の話

あれは京大だったか、大学受験がらみでカンニングの新しいメディアムとして【知恵袋】が巷の話題になったことがある。珍奇なカンニング法があるもんじゃ、と野次馬ごころに覗いてみると、こは如何に、その三次元的な spaciousness に唸ったものじゃ。素直な驚きだ。驚くことはなかろうと思ふ勿かれ、私はその時ほどなく傘寿の老骨、何気なく異端視していた internet なるものの並々ならぬ【深さ】を、その時思い知ったのだ。

さて、ここまでは私の素性、英語で言う identity だ。十代末に戦火収まって程ないアメリカへ risky だから思ひ止まれとの声を尻目にひとり旅、以後修士を経て四半世紀、辛苦の限りを尽くしていま、物書きと晴耕雨読の日々、いまは身に纏う衣の如くなった英語にまつわる【知恵】を出し物に、世のお役に立とうと「英語講釈」なる一席で語ろう、と一念発起した次第。

英語講釈と名づけたからには、英語を「ものにする」手段(てだて)を披露するつもりじゃが、さて、ものにするという実態はとなれば、これがまた一概には言えぬ。語彙が二、三万に程々の文法が身につけばものになったかと言えば、なかなかそうは行かない。つまり【知識】がどれほど貯まっても、どうにもならぬ現場あるわけだ。手段はひとつ、【知恵】だ。「確かこんなの見たことあるな」、「あれが言えるならこれも言えるだろう」如き、デジャヴ的な経験則に似た苔のようなもの、それが知恵だ。

私は兼々【生きた言葉は学問の対象にはならぬ】と考えている。英語を薬籠に入れるには辞書を何冊読んでも、文法書を何冊紐解いても、どうにもならないものがある、という確信があるのじゃ。端的に、知識ではどうにもならぬ知恵がある、ということじゃ。私がお役に立てるとしたら、辞書の記事を紹介したり専門書漁りを手助けすることではなく、現場での有機的な【息遣い】のような知恵を拾いあげて紹介することだ。

今日は「知恵袋」の実例は省いて、知恵と知識の話しを聴いていただいたのは、私はいずれこの「英語講釈」の場が願わくば two-way 機能を得て、諸賢と双方向の交信ができれば、何よりだと思っているのだ。なんなりとご意見を伺うなり、お訊ねがあれば私の考えを聴いていただだくなり、英語人の交わりの場としたいと、思っている。機械に弱い私のこと、どうすれどうなるのか、皆目分からぬ。が、私の手足となっている愚妻の言では、なにやらコメントとなる機能があるそうな。三次元の深みのあるこのインターネットの世界のこと、ある日、どちらかの英語人からよきお話しなど拝聴できれば、またぞろインターネットにもう一腰、深くハマることだろうと、結構楽しみにしているのだ。

ご機嫌よう。

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