【運慶展余談】仰角の運慶

運慶展の余談とはこういう話だ。妻が言うには、『混雑が半端じゃない。膝が不自由なあなたは、人波にもまれて鑑賞もままなるまい。お互い、見失うまいと気を遣う羽目になりかねない。ならば、あなたを車椅子に乗せて一緒に歩くのが知恵じゃないか?』、というわけだ。一理ある。車椅子は去年の台湾行きで、行きがかり上経験している。

では、ということで車椅子を手配、入館の行列に持ち込んで乗り込む。座り込んだ瞬間、目線がグッと下がる。他人様の腰辺り、景色が変わる。この目線の変化が展示室での異常かつ新鮮な経験になるのだが…..。

身障者扱いに恐縮しながら、エレベーター経由で二階の展示室へ。いちいち係員の誘導があり、おずおずと室内に入るや、すさまじい人の海。目線は例の他人様の腰辺り、解説文などは見上げても読めない。それ以後、解説文はパスするに決めた。

照明を落とし気味にした室内は、展示物に当てられたスポットが映えて鑑賞者の群れは影が蠢(うごめ)くばかり、ぐるり私の視野に展示物は入らない。僅かばかりの隅間を縫って近づく。前を横切る人が車の蹴出しに爪先を取られてぐらり、私はすかさず『申し訳ない』….。

なかには奇特な人もおられた。車椅子に気付くや、諸手を広げて私の進路を空け、『どうぞ….』の仕草で展示物の前まで導いてくれる。いや、恐縮の極みである。車椅子は迷惑だったと気付いたが、すでに手遅れ。立ち上がって車を離れたい衝動に駆られたが、『なんだ、歩けるじゃないか』などの声が聞こえるようで、そこは隠忍自重に如(し)くはない。

ならば、とまたも一計を案じ、ひたすら人の流れを追って、ガラス沿いに車を動かすことにした。『しめた、これなら他人様の爪先に蹴られずに済む。』だが、それからの展示物はすべて仰ぎ見ることになったのだ。本来なら起立した目線でこそ鑑賞すべきものを仰ぎ見ることになったのだ。仰角の運慶、である。

が、私にはそんな異様な姿勢での仏像鑑賞に、得も言えぬ妙味を覚えたのだから、何ごとも経験はするものだ。運慶の彫り物には圧倒的な形相で睨み下ろす造形が多い。仁王像然り、四天王また然り。今回の『運慶展』の目玉にそれらが含まれていた。

右上を仰ぎ見る姿勢で四天王像の前ににじり寄る。その時、その一体の見下す視線が見上げる私の眼を射貫いた。照明の効果もあってか、その瞳がぎらりと光ったかに見えた。私は思わず硬直した。射すくめられる、とはこういうことか。正常の目線で見れば、右下を睨む形相に過ぎぬ姿が、仰角で迎え撃つ天王の視線には只ならぬ生体感を覚えた。『仰角の運慶』…..車椅子ならではの得難い収穫だった。

車椅子の運慶鑑賞は希有な経験として忘れ難い。恒例として目録を求めて帰った。帰宅後、目録を繰りながら覚えのない形相に気付いて、苦笑した。龍燈鬼が頭上の燈を見上げて、上目になっている。『なるほど、仰角では見えなかった筈だ』。

絶好の秋日和、あの日の『運慶展』は近年希な愉快な催しだった。十一月二十六日までだという。あわよくば、もう一度こんどは杖で歩いてみたいとも思うが、あの様子ではぎりぎりまで混雑するかも知れない。思案の為所(しどころ)だ。

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