アメリカの幻影(44)

苦学記を綴る筆がふと滞る。大国アメリカが目の前でぐらついてゐる。かつて国運を賭けて挑んだわが日本さえも退けたあのアメリカが、いま、たかがパンデミックの前に立ち往生してゐる。私のアメリカ像が揺らいでゐる。

いま、令和2年の5月5日、日本は武漢肺炎の渦中にあり、緊急事態宣言の1ヶ月延長が決まってゐる。現時点の感染者数は15,353人、死亡者数が566人と、それだけを見れば相当な被害に見えるが、それぞれ数十万数万という世界的規模の被害と比べれば日本の罹災数はぐんと少ない。世界最多とされるアメリカでは、感染者数118万人、死亡者数6万9千人と桁違いだ。

そのアメリカで群を抜いて汚染されてゐるのがニューヨーク州で、感染者約32万人、死亡者約2万人と、日本全体を遙かに凌駕している。統計を見て唸った。ワイオミングやアイダホなどロッキー山脈の裾、都会の喧噪にはほど遠い州ではコロナ離れしてゐるのだ。ワイオミングは感染者586人、死亡者7人、アイダホは感染者2061人、死亡者64人と、軽傷といってよいだらう。

時計を戻さう。半世紀前私が渡ったアイダホと云ふ州は所詮はアメリカ・プロパーではなかったという実感が、いまひしひしとするのである。日本を負かした国を見たいと、あれほど執念を凝らして海を渡って見た国はアメリカではなかった・・・。それを裏付ける思ひ出を遡及して憮然たる思ひだ。

あるいは、と身構えていた私は、触れあう学友たちに敵意の気配も感じなかったし、ボイシ市中の人たちの眼差しに敵国からきた学生を咎める光は見えなかった。むしろ、日本でのよい思い出を素直に見せてくれた人がいたほどだ。(「恵みを受けるの記(42)」http://wyess11.xsrv.jp/main/2019/11/15/kugaku-42/参照)大学内の雰囲気も、よしんばチェイフィー先生の差し金があるにせよ、私への扱いに何ら批判的乃至挑戦的な姿勢が露骨に見えることはなかった。

開拓時代以来のアジア人移民の待遇を熟知してゐた私は、相応の刺激を覚悟して渡米してゐた。戦勝国アメリカを見たいなど暴挙と諭す周囲に背を向けて渡ったアメリカでは、それ相当の厳しい環境が待っていやうと想像してゐた。だが、ボイシでの環境は意想外だった。快い誤算だったのだ。その誤算の根拠が令和の今日(こんにち)になってあからさまになったのは何たる皮肉か・・・。

さう、私が渡ったアメリカは本物のアメリカ、つまりアメリカ・プロパーではなかったのだ。いまコロナの禍がニューヨークとは天地の差があるように、当時アイダホには大東亜戦争の襞は寄っていなかった。その傍証は後年ロサンジェルスで過ごした数年間に、二世たちとの接触から厭でも増えた。日系であることの負荷がどのようなものか、私は骨身に沁みたのである。

それでも、ボイシ時代のアメリカ生活をふり返れば、それと知らずに過ごした穏やかな思ひ出がいまなお懐かしい。BJCでの2年間には、まだまだ語り尽くせぬ思ひ出がある。コロナで挫かれた苦学記の筆、改めて握り直して綴り続けること

にしやう。

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