文明の衝突(2)

そう、文明の衝突。十歳の少年には、「横文字」という世界はそんな現象に映ったのだった。手習いの感覚でpenmanshipをさらい、語りを聞く耳で英語の音を聞きながら、これはどうやら別世界の話だ、とわたしはとうから感じていた。子供心に「一筋縄ではいかぬ代物」と見破ったのだ。

その頃、わたしはある覚悟をした。運命的な覚悟だった。「この英語という奴、身につけてやる」。別世界と承知の挑戦は、あの歳の少年には冒険でしかなかった。それと知らず、わたしは横文字に食らいついていった。

あの頃わたしの頭では、英語の音(発音などではなく音)、その音の不思議な響きばかりが反響していた。抑揚といい強弱といい、日本語とは別世界の「音楽」に思えた。落ち着かない音だが、つながると旋律にも思えた。the United States of America という綴りとは知らずに、耳から入るままにこれを一塊で口にしてみては、どことなくバタ臭い雰囲気を感じてニンマリしていたものだった。

耳から、といったが、その当時ラジオには Far East Network という進駐軍向けの英語放送があった。どこか強力なバンドを独占して、どこでもかしこでも聞こえていた。言っていることはまるで分からない。分からないのだが、区切り区切りで聞こえる旋律的な語群は耳に残った。その一つが the United States of America であり、あるいは Yokohama だった。横浜だろうとは分かったが、 ha が揚がって聞こえるYokohama に、横浜との違いを確かめて、ふんふんと反応していたものだった。

そう、ラジオのカムカム英語のことを話さないわけにはいかない。平川唯一…….。日系のアメリカ人、懐かしい名前だ。なけなしの小遣いを投じてテキストを毎号買っていた。毎週200語位の英語の寸劇を貪るように覚えてはラジオにかじりついた。Now, let’s go back to natural speed again… とそそのかされて、原語のスピードを試みることに、えも言われぬ満足感を覚えたものだった。「おれにも英語がしゃべれる!」呵々、幼きことよ。あれがどれほどのものだったか、後年、わたしは身に染みて悟ることになる。

そうして時は流れた。

わたしは天下の浦高を受け、合格した。県立浦和高等学校だ。佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて」の舞台になった、旧制浦中の後身だ。凡児たるわたしが名門浦高の門をくぐれたのは、他ならぬ英語征服の「夢想」があったからだ。東京生まれとはいえ田舎に育ったわたしは、「ここに学ばねば、そも、大望叶ふべからず」の気概で挑戦、幸いくぐれた狭き門だった。

折角の浦高生活を、わたしはあろうことか、英語学校かのごとくに扱って過ごした。日比谷と争うほどの某大合格率を頼んで入った同輩たちの傍らで、わたしは終始一貫、英語征服への一里塚とみて、ひたすら横文字暮らしをしたのだった。唯一の例外は国語で、秋刀魚と仇名された名教師荒木先生に奈良への紀行文を褒められ、学級で披露されたことがあった。そう、英語に限らず言葉に異様にこだわる性癖は今も変わらない。

the United States of America への思い入れは強く、学級ではバーナード・ショウの Androcles and the Lion を原語で物語り、校内の英語演説会には、自作の(自作ですぞ、悲しいかな過ちだらけだったが)一編を携えて参加したのだった。若気の至りとはあのこと。せめて英語教師に添削を頼めばよかったものを…。だが、あの意気ぞ頼もしかりき、だ。甘酸っぱい記憶がいまも鮮明に残っている。

今日はここまで。ご機嫌よう。

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