世迷い言の由来

わが「侘び住い」にようこそお見えいただいた。心より御礼申し上げる。

さて、わしは梟、不苦老とも、ふくろうとも呼ばれる。昔の武士、もののふですぞ、武士は名乗りを挙げた… 「遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」という、あれだ。ひと様に見参するには禮を盡くさねばならぬ。そこで、まずは梟たるを名乘る由来をお話したい。事細かな素性はいずればれようから、しょっぱなからは多くは語るまい。ただひと言、わしは梟たるを名乗るについては、この場では只々思いの丈を語る、と憚りながら約言させていただく。インターネットなる怪しげな世界、否應なしにわしも寄生しているが、まだ實感はない。この世界、わしには遠くとも近くとも見える。指先のキーを操れば、わしの語りが地球を經巡るという奇っ怪な世界、そもそもわしはハナはここに馴染まなかった。軽佻浮薄な空気が気に入らなかった。◯◯もミソも分別のつかぬ、油断のならぬ世界に思へた。

それが、じゃ。そもそも英語人のわしは、どこやらの知恵袋なる場所に立ち寄ったことがあって、ムラッ気からある英語の質問に答えてやったのじゃ。あれは、ほんのムラッ気からの振る舞ひだったのだが、なんと、わしのコメントが生々しい反応を呼んで、問うた御仁から並々ならぬ謝辭が届いたのじゃ。わしの解説がその御仁の英語生活になにやら画期的な意味合いがあったらしいのじゃ。えらく感謝されてのう。思へばわしは、あの時の解説で、若かりし頃の苦労話を織り込んで話したんじゃよ。その御仁には解説に添えたエピソードに英語研究の鍵を見つけたと、そういっておった。

その経験がわしにインターネットなる奇っ怪な世界に目覚めるきっかけになったのじゃ。わしはこの「世迷ごと」では英語に限らぬわしの見聞を披露したいと思ふのじゃ。メモアールを書くつもりじゃない。わしのここまでの生きざまは一曲(くせ)も二曲もあると思ふておる。じゃから、わしの語りは一筋縄では捉えられまい。だからこその、世迷ごとじゃ。二日三日ごとに出張って語ろうと思ふのじゃ。諸賢からの賛同も反発も、どの一欠片もわしは食らふて樂しむつもりじゃ。それを肥やしにまたぞろ世迷ごとを語り重ねるつもりじゃ。

今日はまずは初見参のあいさつにとゞめて筆をおかせてくだされ。時は師走、慌ただしい時節、風邪などゆめゆめお引き召さるな。では、ご機嫌よう。

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