よそ者に見られたくない(31)

入学の手続きやらコース選択の相談やらのregistration行事が風と共に去ったあと、私の周辺にはにわかに現実感が漂い始めた。つい先週、トムやディックたちとキャンパスでアルバイトをしていたことが、遙か昔のように思える。クラスが始まるという緊張感がひしひしと身に迫ってきたのだ。何をどう準備したらいいのか、あらかじめしておかなければならないことがありはしないか、英語の講義にはたしてついていけるか、何もかも五里霧中だ。

そもそも身繕いが問題だ。日本からろくなものを持ってきていない。人前に出て恥ずかしくない着物は一張羅の背広だけ。来てから買ったのは仕事着のジーパンと靴だけだ。見回してみると、背広にネクタイなどと言う奴は1人もいない。シャツにジャケットがいいところで、ネクタイなどはまったく見かけない。日本での普段着とよそゆきの感覚が、どうやらアメリカでは違うようだ。背広に合う靴ではダメだとなると、教室やその辺を歩くための靴がない。あれやこれや、日常の必需品を買いに街に出かけた。

ボイシは田舎の町だから、それらしい店を見つけるのに苦労はなかった。ウォールマートという、日本なら大型の荒物屋のような何でもありの店に入った。手頃のシャツとズボンを見立てて求める。カジュアルな靴にベルト、靴下など身の回りのものを財布と相談しながら買い揃える所帯じみた振る舞いが、妙に新鮮だ。気にいって買ったアーバン色のコールテンのジャケットは、その秋から冬へ、外歩きから教室まで一張羅で着通した。半世紀前のわが肩幅がわかるそのジャケットは、今でもわが庵の衣装棚にぶら下がっている。これは余談。

ある日、新調した服装でキャンパスを散策した。白かグレーか、およそ色モノなど着たことがなかったのだが、思い切って私は赤と青の格子縞のシャツを選んで着込んで出た。身なりだけでも変身しようと言う気持ちからだったが、歩きながらその色柄のシャツが矢鱈に気になる。最初にネクタイを締めたときの、人の目が気になる、あの違和感を思い出した。

初秋のアイダホは、もうそこはかとなく冷気が感じられる。寒さには滅法強い私は、ロッキーの冬とて何程のことやあると高をくくり、その時はむしろ期待感さえあったのだが、その冬、アイダホの雪の凄まじさを実体験することになるのだ。

キャンパスは一見芝生の海だ。1メートル巾ほどのセメントの歩道が緑を縫うように走る。随所に埋め込みのスピンクラーが径6-7メートルの扇型に散水している。日本では見掛けない仕掛けだ。仕掛けといえば、この歩道の網はすべて地下に温水パイプが敷かれて、足元の雪を溶かすのだ。敷地の東北の角にある煙突の建物がheating plant呼ばれていると聞いていたが、そこのボイラーで湧かした温水でキャンパス内の建物ばかりでなく歩道まで暖房するという。これもまた日本にはない大柄な仕掛けだ、と驚くやら感心するやら。

夏中は滅多に人を見掛けなかったキャンパスにも、私のような寮生だろうか、その日は学生たちの姿がちらほらと見かけられた。整えたはずの身なりが様(さま)になっているか、学生を見掛けると比べたりする自分の挙動にふと戸惑う。よそ者に見られたくない、日本人たるもの身なりであれこれいわれたくない。反面、何でもいいじゃないか、どう見たってアメリカ人に見えるわけじゃない…。あれやこれや、内心うじうじと拘る気持ちが抑えきれない、曰く言い難い不思議な意識過剰だ。そのような感覚は、やがて私が英語による講義にようやくついていけるようになるまで、そう、4ヶ月ほどのあいだ消えることがなかった。

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