ボイシとロバ(43)

 江戸の仇をボイシで取られる話に引かれてか、あの街の佇まいと些細なあれこれが沛然と思ひ出される。いま八十路も半ば、ほぼ半世紀余をふり返り、懐かしい筈のあれこれを思ひ出しかねて右往左往、いっそ省いてと見切っては未練げに拘る辺り、わがことながらいぢらしく微笑ましい。煩さを承知でいま少し、身勝手な思ひ出話を堪えてほしい。

ボイシはアイダホ州の州都、私のアメリカ生活の揺籃の地だ。敗戦の憂き目を味わった当の敵国の一角、あの地に記した最初の一歩の感覚は鮮烈だった。だから、とある街角の風情、触れ合った人々の面影、樹木の佇まいなど、どれもこれもつい先刻のことのやうに、いまなお鮮烈だ。初体験とはかういふものか。

この町がアメリカでも指折りの治安の良い処とは後に知ったことだ。それと知って選んだのではない、ただ日本人の影もない処をと選(よ)った処がアメリカ切っての安全な町だったわけで、只私の強運としか云ひやうがない。生来の無鉄砲から海を渡って来ては見たが戦後も未だ10年、人々にも昨日の敵国日本への蟠(わだかま)りもあったろう、ひょっこり現れた日本からの学生を見る斜視もあったらうから、生活環境はまだ安んじるには危険過ぎたかも知れないのだ。身の回りの人々は私の渡米を暴挙だと諌め、言い出したら聞かぬ私を知るひとり二人は措いて、友人たちはいい加減にしろと背を向けた。思ひ出すさえ息苦しい日々だったが、筋を通した虚仮の一念は、八十路のいま、爪の先ほどの悔やみもない。

何年越しの執念が実って渡った土地は空気感からして意味有りげで、銀幕で馴染んでゐた西部の無機的な茶色の土埃(つちぼこり)ですら、おおこれこその想ひよろしく愛ほしむほどに身近に思へたのだから、若かったあの頃の心理状態を思ひ返すと気恥ずかしくもある。

ボイシは茶色の大地に忽然と育った樹木の町だ。フランス語のles boisに由来する開拓当時の面影が一面の緑にある。後背に迫り上がる丘陵は茶一色、四方どの方向へも小一時間走ればセージブラッシュが転がる茶色の土地だから、町の緑は一転別世界だ。四方八方緑に囲まれた武蔵野に育った私には、この茶と緑の対比がえらく印象的だったのを覚えてゐる。

Capitol Building

町で何より目立つのがドーム屋根に尖塔がそそり立つ議事堂Capitol Buildingだ。町とはいえボイシは州都だからこれはアイダホ州議事堂ということだが、威厳と佇まいが場違ひなほどに立派な建物、日本の国会議事堂に匹敵する。

ボイシには動物園がある。娯楽施設としてのそれではなく、エルクやクマなど土地に育つ動物たちばかりで、上野にいるようなキリンやライオンがゐないから、謂わば動物民俗館のやうなものだ。ただ、これは私の勘違いかもしれない。それは、ある出来事があってその動物園には一度しか行っておらず、その時もしげしげ見たのはある動物だけで、園内を歩き回ったわけではないからだ。それには、私にはほろ苦い思ひ出になる余談をひとつ、お聞きいただけねばならない。

ボイシに着いてしばらくして、私は一人の女性を紹介された。チェイフィー先生の秘書のバスさんのお嬢さんでシャロンという名の、アメリカ人らしい快活で人懐っこい女の子だ。その彼女がある日、まだチェイフィー先生の家にいた私をボイシ見物に誘い出してくれたのだ。持ってきたルーズリーフ・ホルダーを見せて、教会のみんなからのプレゼントだという。金色のエンボス加工でYasu Shimamura とある奴で、中にバインダーが仕組まれた結構な文房具だ。

あれはえび茶色のダッジだったと覚えている。自分の車で迎えにきたシャロンは私を助手席に乗せ、ガイドを気取ってあれこれ喋りながら街中へ向かった。無念、そのあれこれが5割方分からない。問われない限り害はないのだが、何か問われる毎にきっと緊張する。まだ、そんな頃の話だ。

街中をあちこち回りながら、例の動物園に来た。車を置いて、あたりを歩く。犬猫の類からエルク、がらがら蛇などを見たあと、ロバを見た。ロバなら知ってゐる。私はすかさずThat’s an ass.と指を口走ったのが悪かった。シャロンは No, that’s a…..donkey.と云ってなぜか口ごもる。

ロバはassだという辞書からの知識が仇になった。変に拘った私は、donkeyじゃない「ロバはassだろ?」と念を押したのがさらに悪かった。シャロンはYes, but …..と云ったきり真っ赤になるではないか。腹を立てたにしては妙な、戸惑いが表情に読み取れる。

大いに慌てた。どうやら言葉が掛け違っているらしい。話がassとdonkeyの意味合いが問題だとは気づかずに、愚と云へば愚、私は自説を曲げなかった。。若気の至りを絵に描いたような失態だった。

そんな私の様子を見て、シャロンは今日はこれでおしまいとダッジの方へ足早に歩いて行く。大いに慌てたが、わけが分からないまま、私はぶらぶら歩いて帰ると云ってさよならをした。言葉に不便があったにしても、彼女の折角の好意を無にはせぬまでも、気まずくした悔やみは、その後ずっと尾を引くことになる。

他愛のない話だ。assとは隠語で臀部のことで、卑猥な言葉遣ひに頻発することを知った。

男子校出で女の子の扱ひを知らぬ私は、あれはかうだったと説明する煩を厭って、その後も学内で逢ってもシャロンとは会釈以上の付き合いが育とうわけもなく、ただ甘酸っぱい感傷だけが残った。

ボイシの思ひ出はしみじみ愛しい。以後この歳になるまでアメリカを見聞きするにつけ、最初に見知った「アメリカの地」がボイシだったことに、私は計り知れぬ幸運と満足感を覚えるのだ。

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  1. 2020年 7月 18日
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