母の石鹸箱

洗面台の上に古い石鹸箱がある。アイヴォリー色と言いたいが薄汚れたホワイト、セルロイドの変哲もない石鹸箱で薄い楕円状に使い込んだ一欠片の石鹸が貼りついている。見れば濡れてもいない、渇き切って縦に筋さえ走っている石鹸が座っている。

母が身罷って七年余が過ぎた。私は毎夕欠かさず延命十句観音経を供えて風呂を浴び休む習慣だ。癌の放射線治療を始めて体調に違和感があってもそれは変わらない。

昨夜のことだ。経を読む向こうに姿を見せる母が、どうやら厠に行きたいとの身振りをするではないか。瞑目する瞼の裏にそう思える仕草を見て時ならぬ動悸を抑えながら、母が厠から帰りに石鹸でさり気なく指先を洗って戻る姿を霞の掛かった意識の片隅でじっと観つめていた。

われに返り数珠を収めて灯明を消し、寝る間のひと風呂をと風呂場に立つ。何気なく左手の洗面台を見る。私の視線は石鹸箱のなかの石鹸に釘付けになった。石鹸が濡れている。石鹸箱の面にそれと分かる滴が垂れている。それを見た瞬間、理由は知らず私は母が厠を使って帰ったと思い込んだ。そう思うことで私の脳裏に何かが動くのを感じた。管に詰まっていた何かがするっと抜け通った気がした。そして、間違いなく並々ならぬ快感が漲ったのだ。

私は俄に不思議を信じることはないが不可思議をすべて掻き貶(けな)すこともしようとは思わない。万がひとつに不可思議を信じる羽目になっても、敢えて詮索して理を掘り起こすほど無粋ではない。理は通らずとも何かがそれで体を成すならば、それは筋道が通ると思いたい。

あの石鹸が濡れていた理由がほかにあったとしても詮索はすまい。母が思い立って私の供える経に応えて厠に立ち、用を済ませて石鹸を使って見せたからだと思いたい。放射線治療に何の心痛もないが、照射の精度を担保するための排泄調整の苦渋は並々ならぬ。日々治療の経過を報告する私に、昨夕母はここぞとばかり厠にかまけて私を励ましてくれたと思いたい。厠回りの些細なことに悩むなよとの諭しとも思えるのだ。さらに言えば、放射線治療に神経をやられ、それと気づかず理路が乱れた私が幻想を観ていたのかも知れないのだ。

それにしても、夕べあの石鹸が何故濡れていたのか説明ができない。不可思議は依然として残るのだ。そうか、あの時刻に、つまり私の読経から風呂に向かうあの時刻に妻があの石鹸を使っていたとしたら・・・。それを確かめればいい。そうすれば母の厠も石鹸の濡れもひと声で説明できる。

だが、私はそうはしないつもりだ。進行中の希有な経験、前立腺癌の放射線治療という私には空前絶後(と思いたい)の経験に確かに難渋し神経を磨り減らしている私を母が思い遣っての厠であり、石鹸を濡らしてまでの励ましだと思いたいからだ。身罷ってすでに七年余、母がなお母の身で息子たる私を思い遣る心情に言葉がない私である。

この石鹸はもう遣うまい。いつでも母が厠へ行けるように、遣い細ったままでそっとそのままに遺しておこう。

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