人を喰ったタイトルで甚だ恐縮だが、これは時の勢いという奴でどうにもならない。どうにもならないほどの快哉だったとご了解いただきたい。何を隠そう、円周率3.14と言う数字が今日ほど愉快に感じたことが絶えてない。裏を明かせば、私のデータが何と3.14に下がっていたのだ!何のデータだと急かされるな。
日々の出来事を覗かれる方はご存知の通り、私はさる3月から5月にかけて前立腺癌の放射線治療という、私には世紀の経験をした。5月半ばに治療を終えてから3ヶ月、昨日までその結果如何と気を揉んでいたのだ。放射線という見えない代物に何とも微妙な部位を連日計38回も刺された記憶は、そう簡単には消えないものだ。
幸い副作用らしき症状もなく、日々過ごして3ヶ月、今日8月7日に治療の成果をはじめて確かめにがんセンターへ出掛けた。何処も何ともないと言いながら、あれをやられた当人の私は人知れず苦にしていたことがあったのだ。ずばり、38回の放射線治療が実は無駄だった、結局マーカー(PSA)は8〜10で変わらなかった、もう38回やり直せという宣告がありはせぬか、という杞憂だ。
センターへの車中、傍らで愚妻曰く、大丈夫、マーカーは3台に下がっているから、そんな気がするからと慰めるやら励ますやら、そんなことはないとも言えず、助手席の私は内心吉凶相半ばの心境で落ち着かぬこと甚だしい。
センター着、直ちに採血だ。前回、四、五回刺し違えられてS医師に苦言を言っておいたのだが効なし。私が左手だというのに中年の女性技士は利き腕の方が血管は太いとの妙説を唱えて、まず右手に刺したと見るやまたも針先を探り始めるではないか。おいでなすったとこちらは開き直って傍観、やがて彼女曰く、刺し直してよろしいか、と。だから言ったではないかと私は左手のスイートスポットに指先を置いて見せる。
針を抜いて、やおら彼女は席を外し見掛けぬ器具を持ち帰る。スイッチを入れて皮膚の上に翳(かざ)すとなかの血管が黒々と透けて見えるではないか。端から使えばよかったろうに。彼女、それを左手の指示する場所に宛がって調べていたが、ある一点に照準を合わせ、意を決して二度目のずぶり。刺すや否や、さらさらと流れ出る血の音が聞こえるようだ。哀れな採血技士は私の左手を握って拝むように二言三言、申しわけありませんでしたの詫び言葉。私はそそくさと採血場を後にした。
さて、長々と採血話を聞いて貰ったのにはわけがある。今日の治療診断の吉左右(きっそう)を採血のでき次第と占っていたからだ。それがこのように散々な不首尾に終わって、泌尿科のS医師の診療室に向かう道のりを私は重い気持ちで辿ったのだ。側の愚妻にはそれと気づかれぬように指を重ねてラックを祈っていた。3まで下がっているに違いないという彼女の言い草が採血以降にわかに頼りなく聞こえた。
受付番号の5089を呼ばれて診察室に入ったからには、もう出たとこ勝負だ。吉左右もくそもない。S医師の表情に影がない。それが快哉の兆しだった。坦々とデータの説明が進み、私の状況を尋ねるS医師の言葉に澱みがない。これで快哉の実態が見え始めた。私に何の副作用の兆候もないと見て話が軽く弾んだ頃、マーカーが3台になっていることの説明があり、愚妻が円周率云々と言ったのを覚えている。おかしなもので、その瞬間S医師が神か仏に見えて私は思わず合掌した。医師も愚妻も知らぬ一瞬の内心の快哉だった。
3.14、円周率のマーカー値は何の因縁か愚妻が事前に唱えていた値に近い。介護絡みの勉強をしていただけのことはある、感心することしきり。重々礼を述べれば、温厚なS医師は私こそ島村さんを見習いたい云々とひと言、思えばよき医師に巡り会ったものだ。
一刻後、放射線科のアポに出向けばカウンター辺りの技師、看護師一同がわれわれを大歓迎してくれた。S部長とのさり気ない会話よりは、たまたま通りかかったH放射線技師との3ヶ月ぶりの握手がどれほど愉快だったことか。
帰路、円周率を祝って愚妻が兼ねてのステーキディナーを奢るという。思えば、家を出るまでにすでに3台を予想して肉だ肉だと言っていた。熱波も一休みの一日、私には円周率の快哉で暮れた忘れられない日になった。感謝感謝。
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