膝栗毛双六、目出度く「上がり」

かねてお騒がせしていた私の前立腺癌の放射線治療が終わった。ほぼ二ヶ月間の長丁場で戯れに中山道膝栗毛に準(なぞら)えて日本橋から木曽福島までの三十八宿に泊まり歩く趣向、その旅を今日目出度く歩き上げた。膝栗毛双六の「上がり」である。

三月十五日から五月十一日までのほぼ二ヶ月間、計三十八回の治療を週五日連日絶え間なく続ける治療で生活のリズムは完膚無きまで崩され、無機的なルーティーンが果てしく続く状況は大凡(おおよそ)の想像を上まわる難儀なものだった。今日、その無味乾燥な縛りから解放されたその瞬間の爽快感、これは到底想像いただけまい。

考えてもみて欲しい。連日同時刻に冷徹な放射線治療装置に見下ろされて、有無も言わせずじーっと放射線に焼き通される不条理に堪える心理を。それでなくても東日本で過敏になっている放射能なるものをわが身が浴びることになろうとは。装置の下に仰臥しながら、豪儀を自認する私が言い知れぬ苛立ちを覚えた。まな板の鯉ならぬIMRTなるコンピューター制御の放射線治療装置に組み敷かれる心許なさは言いようがない。

双六ならわが町桶川宿から熊谷宿、深谷宿辺りまでの十回前後まで、私はIMRTの金縛りにほぼ無言だった。機械音を発して目前を左右するドーナツ状の黄色いドラムの行方を追ってその都度十五分ほどを萎縮して過ごした。装置の動きのパターンなど意識する余裕はなかった。

二十数回をすぎるころ、軽井沢宿から八幡宿辺りに差し掛かって私は装置の動きに慣れ技師たちとの雑談さえできるほどゆとりが出てきた。感じられる筈もない放射線の先端が分かるなどと戯れ言を言って技師たちを和ませる智恵も働いた。

下諏訪宿から塩尻宿へ三十回を越える頃には、幸い何の副作用も感じられないこともあってかIMRTにどこか親しみさえ覚えるようになった。よくまあ几帳面にジージーと回転してくれるものだ、お前のお陰であの辺りの癌奴がよれよれになっているらしいぞ、と。それは担当のH技師の言い草なのだ。これだけ浴びれば癌はよれよれですよ、と。

そして膝栗毛は終わった。木曽福島宿で上がりである。フォルダーに「終了」のカードが織り込まれた最終回の治療は滞りなく済んだ。技師仲間に兎角の話題を残して私の放射線治療は完結した。初っぱなの治療で私の褌姿に感激してくれたH技師には、妻手作りの褌を記念に手渡し膝栗毛双六の写真に名刺を添えて労をねぎらった。

いわば一世一代の癌治療を済ませて病院を後にする感慨は一入だった。介添えの妻の献身には言葉もない。治療をし遂(おう)せた感慨を早速料理に込めて味あわせてくれた。久し振りの角上魚類の中トロに赤飯の夕食は二ヶ月を通したオートミールの空しさを一掃して余りある美味だった。世はすべて事もなし、である。

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