喉のはなし

持病は何だと聞かれて、予《かね》てから五臓六腑に何の不安もないからいや別にないと答えるのだが、此処数年、いや一つあるかなと答へを濁すことが多くなってゐる。他でもない気管支、つまり息の出入り辺りが何となく不愉快なのだ。科目なら呼吸器科を意識するようになってゐる。

死んだ親父が痔と喘息で苦労してゐるから、否応もなく息子にその気があっても当然なのだが、幸ひ下《しも》の方はその気配がなく安堵しながら息遣ひではやや懸念がある。いっ時喘息対策に何やら吸入薬を処方されて吹き込んでゐたのだが、例の疫病で医者を避けるやうになり、ええい面倒と吸入を中断して二年になる。息苦しさもないから、これは中断ならぬ中止しやうかと考へてゐる。

いま気懸りは気管支ではなく喉、厳密には喉下の食道だ。呼吸器としてのそれでなく、ものを食ふ時の消化器としてのわが喉に不安な兆候が見られるのだ。好きな蕎麦を手繰る時、古来の仕方で啜らうものなら、蕎麦奴、往くでもなく戻るでもなく食道の半ばで滞留するから、こちらとしては絶句するしかなく、体を蠕動させて苦しむことになる。蕎麦に限らず強飯《こはめし》など、腰のある食ひ物を迂闊に取り込むと同じ騒ぎになる。

食道の入り口辺りに何か悪質な肉の塊などありはせぬかとは女房どのの心配事。たしかにものに噎《む》せることが頻発してゐる。

それやこれやで、斯くなる上は医者に診させるに限るとて、遠路川越まで出向いた。

川越はわが庵から西へ十五キロもあらうか、小江戸と囃《もてはや》されて、かつての家並みを残さんとの郷土愛で街に江戸趣味が溢れる。駄菓子屋から芋がらみの食いもの、貸衣装屋などが流行って店を覗く娘たちが着飾った風情を振りまく。徳川宗家つながりの松平なにがしが治め、家光の乳母が埋《い》かってゐる寺もあるこの街は、さすが小江戸を謳う手立てには事欠かない。

その南方、芋畑の果てるあたりに埼玉医大病院はある。わが庵の最寄りには北里病院もあり、殊更に川越くんだり迄来るには及ばないのだが、唄ふ声音《こはね》が怪しいとて喉の辺りの具合を確かめんと訪ねたのが五年ほど前、その折耳鼻科で気心が合う医師、田中是先生に出会った。あれこれと私を遇《あし》らう様が気に入った上に診察結果が上々だったことから、私はこの若い医師にぞっこん惚れこんだ。聞けばいまなお居られるとのこと、ならば女房どのの懸念を払拭せんと、いそいそと出向いた次第。

当方が老いたのか先方が若返ったか、是先生は五年前そのままの風情で私を迎えてくれた。早速の診察を解説かつ説明する口調も、相変わらずてきぱきと俊敏だ。懸念一切なし、異常の気配皆無。蕎麦が以前のようにたぐり込めぬと訴えれば、先生かんらからからと打ち笑って曰く、それは年のなせるワザで至極当前のことで一切心配なし、と。微かな懸念もそれで霧消、五臓六腑の健康が再確認された瞬間だ。

一病息災との言ひ草もあり、病の影もないことに贅沢な懸念もなくはないが、それはそれ司々《つかさつかさ》と云ふではないか。ここは是先生の言ひ草を好しとして一安心させてもらうか。

数えで米寿、巷には同年輩の年寄りが年毎に増えてをるとか。他人《ひと》は他人と嘯《うそぶ》きながら、わが身を頻りに労《いた》わる身勝手、われながら如何かと思ふ。思ふが、そこはそれ終活真っ只中の老いの一徹、平にご容赦ご容赦。了

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