わが女房どの

いつのことだったか、ある晩いつものように梟翁から送られてきたホームページ用の文章を校正していた時だった。ある箇所で、はたとキーボード上の手が止まった。「わが女房どの」という呼称が突然現れたのだ。それまでの私は一貫して「愚妻」と書かれていたので、これは青天の霹靂!いったいどうしたのだろう。

梟翁は若い頃単身アメリカ留学をするなど、どちらかといえば進歩的な生き方をしてきた男だけれど、男女平等という考えには与しなかった。「男と女は違う生き物だ。そう思っている方がうまくいく。」と言っていたものだ。だから私は楽だった。肝心なことは彼が決めてくれるので安心だったし、男社会では許されないような行動や物言いを私がしても大目にみてくれていた。

とはいえ「愚妻」だ。他のブログなどを読むと、若い世代は「嫁」が多く、年輩は「家内」が多い。その他「妻」「女房」「連れ合い」などのバリエーションがある。「お妻ちゃん」というすてきな呼び方もある。他のページで「愚妻」を目にしたことはなく、少し寂しく感じていたのは否めない。

私はたしかに愚かな人間なので、昔の人が謙遜して家族を「愚妻」「愚息」「宿六」などと呼ぶのは美徳でもあったことだし、まあしょうがないか、と思うようにしてきた。ホームページを読んでくれた友人に「愚妻なのねー。」とからかうように指摘されたときも、「主人は古い人だから。」とお茶を濁してきた。

それがあの日突然、「わが女房どの」に変わったのだ。急に自分が一人前、いやそれ以上の扱いに変わった。しかも「わが女房どの」という、他のページでお目にかかったことのない梟翁ならではの個性的な呼び方に変わったので、よけいに誇らしい。でも考えてみると、それまでは謙遜ではなく本当に「愚かな妻」だから「愚妻」だったのか、ということが明らかになった瞬間でもあった。いやいや、それを返上してくれたのだから、やはり喜ぶべきなのか。

翌朝、「ねえ、昨日の原稿で私が「わが女房どの」になってたわね。」と報告したところ、梟翁はにんまりして頷いただけだった。

投稿記事を遡って調べると、「わが女房どの」が登場したのは2021年の12月の記事だった。思い起こせばその頃に、梟翁は様々な大事なことを私に引き継いでいた。自分のマックのディスクトップ画像を、私が雄鳥のピー太を抱いた写真にしたのもその頃だったように思う。そして、「もう俺は仙人のようなものだから、何でもお前の言う通りにするよ。」と言い始めたのも、多分その頃だった。

側から見ればまだまだ元気な爺様だったけれど、さすがに老いを悟っていたのだろう。「わが女房どの」は、梟翁の賢い身仕舞いの1ピースだったに違いない。

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