救急治療か伝統か

四月五日、ある示唆的なできごとがあった。

大相撲地方巡業で、土俵上で挨拶をしていた人が突如倒れた。急遽土俵に立ち込んだ人びとに女性が混じっていた。咄嗟に「女性は土俵に入らぬように」とのアナウンスが掛かる、女性は立ち退き男性たちがその人を搬出して病院へ。本人は命は取り留めた。この出来事がちょっとしたいざこざになっている。曰く、「救急活動に立ち込んだ女性をなぜ排除したのか。」

掘り下げると、話はこうだ。場所は舞鶴市、倒れたのは春巡業の挨拶に立った多々見良三市長で原因はくも膜下出血だった。その時土俵に上がっていた舞鶴市の飯尾雅信市民文化環境部長が観客の中から土俵に立ち込んで来た一人の女性に気づく。聞けば看護師で心臓マッサージができるという。

ならばと、次長は彼女を手伝い救急処置をする。その最中に相撲関係者から「女性は・・・」のアナウンスが流れる。三回ほど繰り返すアナウンスを耳に女性はなぜといいながら手当を続けて、消防職員らがAEDを搬入するや土俵を降りたという。市長の状況は安定、一か月ほどの入院が必要だという。

さて、前述のいざこざは「人命を救う応急処置なのに女性はなぜ排除されたのか」という相撲協会の関係者が流した咄嗟のアナウンスに対する男女同権派の反発だ。煎じ詰めれば女人禁制の伝統へのお杓文字(おしゃもじ)の挑戦というわけだ。

余談だが、先日宝塚市での巡業で女性市長が土俵脇で挨拶をしたのだが、土俵上で挨拶できないことを口惜しがったという。この話、今回の一件と一脈通じるのが妙だ。いずれも大相撲における伝統や如何にという命題を前に戸惑う有様が実に奇っ怪かつ滑稽だ。

さて女人禁制の伝統の話だが、これを現代の日常生活に嵌め込んで論じることの不毛と愚昧にまず気づいて欲しい。女人禁制という概念自体が現代社会では非現実的でおとぎ話ですらある。つまり、女人禁制は実話ではないと言うことだ。女人禁制が伝統なら、伝統そのものが折りに非現実的なおとぎ話でもある。おとぎ話が時として不合理でもその妙なるが故に持て囃されるように、伝統も多く理に沿わないものだ。伝統とはその不合理性も含めて懐深く摂り込む大らかさが美徳なのだ。

話を戻せば、この話は男女同権思想とは全く極を異にする女人禁制を伝統とする大相撲をどう考えるかという命題に収斂する。女人禁制か男女同権かの二者択一ならいざ知らず、二つを両天秤に掛けて釣り合いを論じることの不毛は歴然としているではないか。

ここでひとつ肝腎なことを指摘しておこう。それは大相撲が神事であることだ。つまり大相撲は神に関するまつりごとで、皇室神道として天皇に捧げられる神事であることをご存知だろうか。そもそも相撲そのものが神社神道で、各地の五穀豊穣、無病息災を祈る神事なのだとは?

そもそも神事には伝統として現代に馴染まぬ仕来りがあり、その一つである大相撲も当然ながらそんな仕来りが多く残っている。行司に女性がいないように床山も男性ばかり、呼び出しにソプラノの美声は聴きたくても聴けない。況んや、神がかる土俵には女性の影もあってはない。

話を纏めよう。日本の美は自然にあり、料理や華道など日本人の生活の隅々にあり、周囲を彩る伝統文化のなかに豊かに沁み通っている。社に詣でて虚心に祈る思いが深ければ神事を含むこの国の豊かな伝統に目覚め、この国に生まれた幸せをしみじみ思い知る筈だ。

大相撲に集う人びとの多くは、この稀有な神事が彩なす含蓄ある「型」の美しさと深い意味に酔い痴れるのだ。横綱の手数入り然り行司の装束然り、異様に手間取る立合までの時間の流れさらに然り。

だから、神事の場「土俵」の有り様は将に大相撲の伝統の極みなのだ。例え不条理の極みではあれ女人禁制は伝統として厳として生きねばならない。大相撲協会理事長の謝罪発言は、最近の不祥事を背に世間に阿(おもね)った大きな過ちだ。ひたすら伝統に生きる覚悟を貫くとの毅然たる声が聞きたかった。

くだけてひと言、あの日あの時、土俵にいた男どもは何をしていたのか。緊急事態ならば、それと認識しながら刹那に然るべき動きを見せられなかった不甲斐ない男どもの無策振りをこそ、拳を振って指弾したい。

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