あるコスモスの海

羽生と云ふのは厄介な字で、将棋で羽生と云へば名人羽生善治で”はぶ”と読み、スケートのご存知羽生結弦は”はにゅう”だ。わが桶川の北、群馬との県境辺りに羽生市がある。これは”はにゅう”だ。此処が羽生結弦と縁のある里かどうかは定かでない。

この羽生にコスモスが群生して摘み取り自由だといふ話に惹かれて、先日、その羽生に車を向けた。人騒がせな台風が次々に来襲する合間の、これは見逃せない行楽日和だった。抜けるような秋の空、時ならぬ都はるみの戯れ唄を結構な伴奏に、羽生への道は軽々、1時間も経たずに話題のコスモスの里に着いた。

見れば広々とした畑、農道の左右に昔風なら二、三段はあらうか、将にコスモスの海が広がってゐる。畑には人の入り込んだ径がくねって、すでに切り取り自由の痕跡がふんだん。西風に煽られてやや東によろけながら、ならばと首をもたげるコスモスたちは流石群生の力鮮やか、秋の桜とは言ひ得て妙、視界の及ぶ限りの色合ひが見事だ。

水を敷いたビニール袋など、かねて用意万端の愚妻は嬉々として花を摘む。その姿を撮るなどのいっときは結構な秋色の贅沢、羽生の「コスモスの海」捨て難し。

コスモスはカオスの対義語だ、と、どこかで読んだことがある。カオスが混沌ならコスモスは調和か。群生しているこの花を眺める限り、そのどちらともとれる。切り取り自由で立ち込んだ羽生の「コスモスの海」はやや混沌めいているが、見渡せば鮮やかな秋の桜色の調和とも見えぬことはない。

コスモスが外来種だといふことを知る人は少なからう。メキシコ原産で入って来たのは明治も末頃、魚のバスではないが外来種は拡散が早い。その色と形から「秋桜」と和名されて、瞬く間に全国に広まった。

そんなことを思ひ耽りながら、優雅に秋桜の海を眺望する。日本の何処かがいま自然災害で苦しんでゐる折柄、やや申し訳ない憩いのいっときだ。

内陸ながら羽生には何と水族館がある。田園のど真ん中のさいたま水族館は、さすがに川魚が見せ物だ。南米や中国からの巨大ものから、メダカやグッピークラスの可愛い奴まで、こぢんまりした水槽に囲われて群れてゐる。

これではとても割いては食へまい、という巨大ウナギが”みもの”だ。とてもドジョウとは思へぬドジョウもいる。外来のバスが一尾、しきりに親しげにこちらの動きに対応するやつがゐて、魚にも知能があるのか、と思はせるほど鮮やかな条件反射の証しに見えた。

コスモスの海と川魚の里で秋の午後を過ごし、羽生では将棋指しとスケーターのほかに新しい縁(ゆかり)を発見できた。切り取って帰ったコスモスは、その日から玄関と仏壇を賑わしてゐる。

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