閑話休題、須田さんのこと(7)

ここまで語りながら、わたしはまだひとつ大事なことに触れていない。時間的には、これは浦高を卒業する直前から母校で教鞭をとるまでの間のエピソードだ。アメリカ行きという、当時は妄想に近い思いに駆られて、わたしはなかば常軌を逸した振る舞いをしていた。須田さんとの触れ合いもその一つだった。

須田さん。懐かしい名前だ。東京駅前の丸ビル、駅に面した一階の角に日本交通公社があった。JTBと愛称されていたかどうか、まだそんな風には呼ばれていなかったかも知れない。アメリカ行きの心積もりはついてきたが、母校での教鞭話はまだ浮かんでいなかった頃だったから、どんな手段でどう渡航するのかという具体的な手立ては皆目ついていなかった。

わたしが丸の内の交通公社に行ったのはその頃だ。なぜ交通公社と訝るのは当然だろう。当時のわたしの心理状態は先述のように妄想そのもの、アメリカ行きも旅だ、旅ならなんといっても交通公社が老舗だ、と。単純極まる話だが、わたしには至極論理的な行動だった。

海外旅行にはまったく初心なわたしを須田さんは一から手を引いてくれた。旅券のこと、査証のこと、種痘証明のこと、それより何より大蔵省から外貨の割り当てをもらうための「関門」があること、などなど、付きっ切りで世話を焼いてくれたのだ。頼れる人とていないわたしには、ことアメリカ行きについては須田さんがいわば命綱だった。進行中の大学との折衝の詳細まで、わたしは須田さんに話していたので、駆け引きや具体的な段取りやポイントごとの知恵をつけてくれた。

初めて会った時、わたしは渡米の「企み」について、突飛ながら思うがままを須田さんに相談した。しばらくは月並みな対応をしていた須田さんも、わたしの切羽詰まった様子を感じ取ったらしく、カウンターから別室に招き、座り直してわたしの話を最初から聞いてくれた。ありきたりの応対でもやむを得ない状況で、須田さんがなぜあれほど腰を据えてわたしの話に耳を傾けてくれたのか、いまもわからない。テコでも動かぬ若者に手を焼きながら、いつかのめり込んだ、としか思えない。すでにあれから60年が経っている。須田さんは、もうおられないだろう。懐かしさで胸が詰まる。

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コメント

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