コロナの遺産

今朝耳に入った話だから真新しい出来事だ。病院が破産してゐる、患者が少なくなって経営が成り立たなくなったから潰れる病院があると云ふのだ。如何にもコロナ以降の出来事、患者が来なくなった病院と客が途絶えた飲食店が手を取り合うかのように閉じると云ふ、なんとも奇妙な現象である。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200518/k10012434171000.html

飲食店の方はごく当然で、敢へて捻れば、其処まで自転車操業なのかと訝る程度だが、病院となると何処か釈然としない部分が残る。人は病気などしないに限る、病院に担ぎ込まれないことの幸せ、と云ふ感覚もある。更に云へば、健康な社会があるとすれば、それは病院で閑古鳥が鳴くことではないのか。

さて、ここからが漫談になる。患者がゐないから左前になる病院と云ふ名の「店」の経営の算盤勘定はどうなってゐるのか。ちょっとした風邪や腹痛、頭痛やらは店内で抱へるかで店が成り立つ仕掛だ。

ある日、その上得意たちが消えた。消えたと云ふより脚が遠のいた。そのせいで算盤が合はなくなった。聞けば、その店に行くのが怖いからからだ、と。行けば何か妖しげな病気を貰ふから行かないと云ふ口コミが広まってゐると云ふ。店長ならぬ院長は困った。確かにその妖しげな病気の患者を取り込んだことがある。伝染性の病気で、一人や二人でなく、数人を診たことがあり、手間暇を掛けて治療した。神経を遣って治癒させたが、悪いことにその伝染性の病気への感染を怖れて、ほかの入院患者たちが脚抜きを図った。新規の入院患者ははたと途絶えた。

と、そう云ふことである。コロナ治療で疲弊した上に伝染を怖れて通院患者が途絶え、既存の入院患者たちまでが他院へ移り、経営が成り立たなくなった病院があると云ふのである。将にコロナの遺産、コロナなかりせばの出来事だ。あれこれと検討され実行にも移されている財政出動だが、この手の医療機関があたらコロナの歯牙に掛かるのを看過できよう筈はない。

漫談めいて指摘した病院の存在意義を、ここで改めて見直すべきであらう。病気に罹らぬに限るのは云ふまでもなし、万一掛かったときの保険に相当する病院のありやうを、コロナをいい潮時に再検討すべきだ。コロナを扱った病院が毛嫌ひされて潰れるなどは落語にもならない。

当翁は多々思ふところがある。それを敢えて披瀝することなく、世の反応をとくと観たいと思ふ。日頃芸もない野党たちのつべこべを耐へてゐる安倍首相よ、ここ一番、病める病院を救ふ辣腕を振るはれよ。

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コメント

    • 近藤 明理
    • 2020年 5月 24日

    病院が経営困難に追い込まれるメカニズムがよく分かりました。
    でも、病院がつぶれるなんてあってはならないことですよね。
    結びの言葉に同感です。政府の資金を投入して存続できるようにするべきだと思いました。その為に税金を使うことは国民も納得しますよね。
    島村さんのエッセイのお蔭で、大事な問題に気付かせていただきました。

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