喜餅師匠との遭遇

黒船で開けてこのかた、異人さんたちの眼に映る日本は様変わりした。フジヤマゲイシャから天ぷらすき焼き、そしてまんがアニメからコスプレゆるキャラまで、日本のイメージはグンと変わった。そこは浮世、それはそれでいい。礼儀正しい生真面目な人間ばかりの集まりだと思われるより、「おや、わりと角の取れた人たちじゃないか」と見直される方がいい。ただ、あまりにゆるキャラぽく軽んじられるのは閉口するが…..。

こんなことがあった。

日頃から日本文化の伝道師を任じているわたしは、日本人の諧謔性がほどよく滲み、味わいある落語という、わが庶民文化の粋を世界に認知させるのが智恵だと気づき、洒脱でエスプリ豊かな江戸の古典落語の英訳を始めている。すでに「火焔太鼓」、「井戸の茶碗」、「宿屋の富」などを脱稿、いま三遊亭圓朝の名作「心眼」を紡いでいるところだ。噺家たちの語り口を活き活きと英訳する試みは希有、やがて落語文化に心酔した粋な異人さんがのめり込んでくれて、この世にふたつとない日本の話芸を世界に伝播してくれれば、わたしの宿望は達せられることになる。

それが、である。似たようなことを目論んでいる人物にほぼ偶然であったのだ。つい一昨日のことだ。落語を英語で語る試みを、すでに試みの粋を脱して自分の席を構え、席料を取って展開している。芸名を喜餅という好青年だ。某女史を介しての出会いで、英語、落語、文化、江戸、古典などのキーワードを介して只ならぬ親和感を覚えた。

その日、一席聴かせて貰って達者な芸に感銘を受け、貴重なoutlet の発見にほくそ笑んだ次第。遠からず、席の半ばを異人さんたちが埋め尽くす日が来よう。そうなれば、わたしの「芸」も生きようというものだ。

人には添ってみろ馬には乗ってみろ、と言う。とかく若い世代の有り様が顰蹙を買うことの多いいま、これは捨てがたい経験だった。喜餅師匠、喝采喝采。○女史、深謝深謝である。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 手造り野菜の味

  2. 馬が群れる里(くに)

  3. AI記事9回目がアップされました

  4. AI記事6回目がアップされました

  5. 老桜よ、さらば

  6. AIコラム記事第2回がアップされました

  7. ほっぺたが落ちるほど難しい

  8. 木樵のアリア

  9. 人寄せパンダになる

コメント

    • 島村泰治
    • 2017年 2月 24日

    言葉は生きている、有機体だというのだが、面白いことにそれ自体には生命はなく、言葉は人にそれを吹き込まれて初めて有機的に働く存在だ。だから、言葉は生命受容体と言う方がぐんと分かりやすい。

    さて、その言葉に命を吹き込む媒体として、落語はおそらくもっとも生命感の溢れるものではないか、とわたしはかねがね思っている。書きものもいいだろうし、音や映像絡みの言葉もいいだろうが、純に人の声と仕草だけで状況を伝え切る媒体は、落語をおいてほかにないと、とわたしは思う。

    洋の東西というが、これはなに語かに語の別はあれ、「言葉」というエッセンスでは区別はないとしたものだ。日本語による「東」の落語も、周到に練られた英語を介せば立派に「西」のRakugoに生まれ変われることと、わたしは疑わない。

    只、これは英語が周到に練られればのことで、思いつきの言葉遊びで安易な「げらげら笑い」の芸にしてしまっては、「落語」があちらの世界に生まれ変わるとは到底思えない。わたしは残る年月のかなりの時間をそれに費やすつもりだ。

    そんな思いをシェアする才人がいるかの予感がするのは、気のせいか。

    梅が八分、畑のえんどう豆が二分、鶏舎の若鶏たちが抱卵の気配を見せている様子からは九分、鄙の春はもうそこに来ている。

    • amberforest
    • 2017年 2月 23日

    当方、落語に関してはまだまだ小さな卵ですが、最終演目で高座に舞う雪が目に映ったように、日本文化の「伝道師」お二人が分野を超えて繋がった瞬間を、心眼は確かにとらえたのです。こんなことも有ろう哉と、世界一幸せな青い卵がつぶやいたかどうかはさておき、ここからどうやって自らの殻を破って成長してゆくか。色々と楽しみに思うこの頃です。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

recent posts

JAPAN - Day to Day

Kindle本☆最新刊☆

Kindle本

Kindle本:English

Translations

PAGE TOP