八十四番目の一里塚

2月の17日が誕生日だから、つい何日かまえに私は84歳になった。傘寿がどうのと云っていたのが、なんと米寿への道半ばまで来たのである。ひと言で信じ難い。五体満足に加えてもの思う気持が一向に萎えずにいる私には、この歳が自分の年齢とは到底思えないのである。

そう云えば世間にはそれが戯れ言に聞こえ、他人様は紛れもない八十翁だと私を仕切って扱うから始末が悪い。まして、作務衣を纏い白髪白髭を靡かせ杖を振って歩けば、そう思われても詮方ない。そこでいっとき私は、いっそのこと歳に甘えて生きてやろうと、開き直るかに振る舞いもした。

しかしそれは、所詮見かけの方便でしかなかった。その実(じつ)私は、何とかQOLを高める手立てを目論んでいた。この目論見が中れば、還暦前後の機動性を回復して小山なら登りすらもする気概が蘇生する筈だ、と。他でもない、病める両膝のことだ。杖のみに頼り運動不足を詰(なじ)られながら、その対策を絶えず考えていたのである。

帝京大では切るのはいつでもできるからと授かった歩行法の知恵を、一年掛けて実践し思わしくないまま立ち往生していた矢先、コロラドの友人フレッド・ソウワーから疾うに人工膝に替えているとの消息が届く。フレッドの言葉の何気なさが煩悶のガス抜きになった。奴っこさんがやっているなら、と私の腹は即座に決まった。

あと3ヶ月ちょいで、私は膝の関節を人工物に取り替える、巷でいう人工関節を入れる手術をする。すべての出鼻を挫いてきた一対(いっつい)の膝にようやく引導を渡して、余命を恙なく生き抜く【足】を手に入れる。だから、ここだけの話しだが、歳に甘えて生きるなどは仮の言い草に過ぎないのだ。

誕生日を期して八十四歳になっての気概などは殊更にはないが、筆の滑りが滑らかになっている気配があるからには、ひとつ書き残すものは残すべきだと肝に銘じている。古典落語十二選の英訳などは所詮は慰み、久しく発酵を待つ書きものを醸成せねばならない。縁あって英語でものを云う技が微かに長けてきたからには、慰みを越えて、俄に他人(ひと)には叶わぬ、わが文化の粋を世界(よ)に伝播する使命を敢然として果たさねばなるまい。

葉ものが溢れ鶏たちが絶えず卵を授けてくれるわが庵には、いま不安の欠片もない。【足】が戻って段差の危惧が消えれば、私の生活は蘇生する。八十四番目にして初の一里塚を見る思いである。

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