アジアの曙

「アジアの曙」という物語をご存知かな。山中峯太郎という作家はネット社会では、ご存知の方は少なかろう。これは、戦中に世の少年たちの血を沸かせた物語とその作者じゃ。レトロも極まれりと顰蹙を買ふやも知れぬが、そこはわしの齢いと生きざまを斟酌されてご寛恕願ひたい。わしはこの物語をリアルタイムで愛讀した。少年倶樂部の連載だったと記憶するが、まだ十代に手が届かず、幼年倶樂部に甘んじていたわしは、ひょんなことでこの物語を聞き知ってたちまち虜になり、貪るように讀み耽ったものじゃ。われながらマセた、しかし健氣な子どもじゃった。

その「アジアの曙」を戰後、硬骨大島渚がテレビ向けに映畫化したものを、先日偶然見つけたのじゃ。十三話になって、YouTube にあった。原本を飾っていた樺島勝一畫伯の挿し繪こそないが、支那革命に投じた一人の元日本軍人の軌跡を追つて語られる伝説的な物語が映像化されている。今わしは、それをテレビ畫面におもむろに紐解きながら、時空を七十年ほど遡って、あの脊筋の通った日本の活性をしみじみと肌身に感じているのじゃ。

だが、今日はこの物語の筋をお話しする意図はまったくない。この物語に投影されている當時の日本のアジア觀を、支那という国の大衆はいざ知らず、あの国の指導者を任じておった人たちの日本觀と絡めて、世に言う「大東亜共榮」の實態を考えてみたいのじゃ。

これは物語じゃ。たしかに物語じゃが、そこに登場する人間像には日支ともに血が通っておる。日本に伊藤、山縣あれば支那には孫文、袁世凱あり、それぞれ實史に沿って動いておる。袁世凱に対する日本政府の姿勢にして然り、軍隊での支那留学生らの去就また然り、総じて日支の間には東亞を意識した幽かな連帶感の氣配があった。一軍人、それも銀時計組の軍人が、軍籍を投げ打って支那革命に身を投じるなどは、さすが物語と云わねばならぬが、辛亥革命から第二革命への流れには、たしかにその氣配があったように思えるのじゃ。

今の日支関係に照らしたとき、ここまでの話は荒唐無稽に見えても不得止ない。片や日本がいらぬ自縄自縛状態にあれば、いずれは四分五裂になる運命の支那はいわば成金の不行跡さながらじゃ。これはともに尋常な姿ではない。自らを縛る繩が憲法なら、日本はいさぎよくこれを切り捨てるに躊躇する謂れはごうもない。「共産体制」の矛盾が極まった今、支那は昔に學び、日本の叡知を頼って大東亞に生きるのほか道がない、と悟るべきじゃ。

世界は動いておる。友邦アメリカとて昔日の面影なく、いま、選ばれて大統領となりしトランプなる人物は、その外交感覚が不透明、そのアジア觀如何では、日本にとって尋常ならぬ影響が予感される。ならば、それを逆手にとらえ、日本は新たな「大東亜觀」を予断なく組み上げては如何、とわしは思ふのじゃが。

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