心理的な脱皮(36)

戸惑い
ものごとはすべて見ると聴くとは大違い、遙々アメリカに来て数ヶ月で私はしみじみそれを実感した。戦中の「少国民」は一様に相手国アメリカへの言い知れぬ敵愾心で幼い胸を燃やしていた。いわば最右翼の少国民だった私は、さらにその敵愾心を酵母にこの国への漠とした、いわば負の先入観が発酵していた。それを乗り越えて「この国を見てみたい」一心の執念の渡米だったのだから、心理的な重圧感は分かって貰えるだろう。それが、である。それがボイシに着いて数ヶ月ほどの時間の洗礼だけで、音を立てて崩れるのを感じたのである。

さて、20歳を過ぎてなお心理的に戦時の少国民性を残していた私が、状況のコペルニクス的転回にいかに周章狼狽したか分かって貰えだろう。私は俄(にわか)に信じられなかった。シアトルで氷川丸を降りた時点でさえ、これがしゃかりきに戦ったあのアメリカだ、敵国から来た若者にどこか刺々しい感情を抱いてはいないか、などの意識が潜在していたのだから。

それが数ヶ月で様変わりしている。われわれが死を賭して戦ったあの「大戦」の相手は本当にこの国だったのか?矢鱈にどでかく、なんとも大らかなこの風土からは敵意の気配のかけらも感じられない。もう過去の出来事だにせよ、まだ10年も経っていないのだから、人々の振る舞いのどこかにその残滓ぐらいはあろうはずではないか。

状況が変わった。ボイシに着いてから講義に出るまでの数ヶ月は、実に摩訶不思議な時間だった。それはまた、戦中戦後から引きずってきた私のアメリカ観の心理的脱皮の序章だった。

諄(くど)いほど話しておきたい。私のアメリカ行は動機が穏やかでなかった。母国を完膚無きまでに叩きのめした国をこの目で見たいという、薄っぺらな好奇心ではない、深層に刃を抱えこんでの吶喊(とっかん)行為だった。入学までのチェーフィー先生との交信や大使館のマイヤーさんの親切、渡米後のトムやディックなど好意溢れた人々との触れ合いで矛先が鈍りはしたが、なお「敵地にいる」感覚には変わりなく、戦後10年経ったとはいえ、身近な者を戦場で亡くした人が何処にいるか分かったものじゃないとの懸念は抜けず、いつどこで、なにを云われ何をされるか、という身構えは欠かせなかった。

そのような潜在意識が、学内の生活が深まり英語漬けの日々がルーティン化して神経が読書と予習復習に収斂するなかで、私はその身構えを忘れ、いつ何処でなどの気配りはいつかな他人事のように薄らいでいったのである。

脱皮
思えば、日本人のいない片田舎の大学に学んで生粋のアメリカを見たい、と此処を選んだ知恵が活きたと云えばそれまでだが、目の前のアメリカに向かって内心振りかざしていた拳を振り下ろす場がとんとなく、ああ云われればこう云おうと身構えていた決めぜりふも埃を被ったままとなれば、さしも根深かった私の「少国民感覚」は流石に凪ぎ、自分のアメリカへの対峙姿勢がじわっと変わってきた。心理的な脱皮だ。周囲の眼が柔らかくなったと見えたのも、実はそもそも険しくはなかったのではと疑いさえするほど、とどのつまりすべては自意識過剰だったのかも知れないと思うようになったのだ。こうして、以後、ボイシとソルトレイク(ユタ大学)の大学生活を通じて、私は再び「少国民」の亡霊に脅かされることはなかったのである。

小国民たれ
思えば、先の大戦は私の成長期の精神生活に尋常でない影響を与えた。学友たちの戸惑いを一蹴して文集のタイトルを「撃ちてし止まむ」に決め、幼年学校への進学を夢見ていた。だが、私の世代は銃を持つまでに至らなかった。早く大人になって兵隊になれよと尻を押され、耳に聞こえる反米の怒号と目に映るアメリカ憎しと踊る激しい文字に浮かされて、幼い「少国民」は闇雲に当面の敵国アメリカの極悪非道を怒り、アイドルだった山本五十六連合艦隊司令長官の仇討ちを誓って小さな拳を握ったものだ。神国日本に敗戦はないと信じて疑わなかった少国民にとって、あの8月15日は空虚の日だった。うすらぼんやり予感していた大人たちはいざ知らず、筋金入りの少国民にとって、あの日はあるはずがない、あってはならない日だった。若干10歳半の私が「アメリカ」という存在を直視した瞬間だった。

「なんでも見てやろう」とアメリカを経巡り反米の道を辿った小田実のように、アメリカを外科的に観察してその不合理を糾弾した者もいたが、小澤征爾のようにその内臓に踏み込んで臓器を弄ってアメリカを肥やしにしたものも多かった。私は後者の類で、不敗の日本を破った国の「実体を見たい」衝動に駆られてのアメリカ行だった。学問的に志向すべき特定な分野があるわけでもなく、ひたすら一次体験をしたいばかりの挙動だった。

隠れた恐怖心
氷川丸に乗船した時点での心境を正確に分析すれば、冒険心が半ば、徒手空拳で留学することの虚栄心が半ば、それに加えて心の隅には明らかに恐怖心があったのだ。うっかりすると身に危険が及ぶかもしれない、戦争で身近な人を亡くしたアメリカ人に恨みの刃を向けられるかもしれない。今だから告白するが、あの日横浜の埠頭を離れた瞬間の心境は鹿島立ちとは程遠く、ひとりの筋金入り(のはず)の少国民が、地につかぬ足を持て余していたのだ。

その少国民が僅か数ヶ月で脱皮したのである。先の大戦を振り返る眼に別な視界が開けてきた。その頃、私はある日の白昼夢でこう考えた。

「敗戦を来した政府や軍指導部への短絡な批判をするのではなく、一国(いっこく)がことを起こすときの判断の破綻と冷静な状況判断を支える国際的視野の混濁を責める自省の念が強い。蜂が獅子を倒そうには、只ならぬ手立てがなければならなかった。如何に理があろうとも真珠湾の一刺しでこの獅子を葬るなどは論外だった。先ずは睡(ねむ)らせて和を講じる策があればこその真珠湾だった。この獅子は弄べども怒らせるべきではなかった。惜しいことをした。」

BJC(Boise Junior College)の初年度に入って数ヶ月、私は自分の身の置き所を確かめるのに専念した。勉学に集中することに努めた。周囲の視線は遠来の日本人への興味と関心の表現と思えるようになり、ひとり二人と友人もできた。“しめこの兎”である。それから私の八面六臂の活躍が始まる。

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