リーヴァイスの衝撃(27)

衣食住というが、そのころ私は学生寮に一部屋を宛がわれて住はよし、食もRound Houseで取りあえず食えるとなれば残るは身繕い、衣となるわけだ。着た切り雀では流石にまずかろうと出発前のどさくさ紛れにかき集めたものは、下駄こそないが履き慣れたズボンやシャツに下着類ばかりで、行き先のアメリカを意識して選んだものは皆無だ。何という杜撰、何という横着。

思えば私は生来着るものには無頓着(というか、貧乏から碌に着るものがなかったのだが)、高校時代はおふくろ手作りの制服紛いの雑着で通したし、教師時代は誰やら譲りの冴えない背広一着を着回していたものだ。

渡米するのだからと新調したターコイス色の背広はあったがこれは一張羅、事あるときの衣装で実用にはならない。まず日々働き回るのに着る仕事着も靴もないことに気づいて、私は頭を抱えた。

トムとのお目見えの日、私は灰色のズボンを降ろし,香港シャツに部屋履き用のズックを履いて出向いた。トムは上下繋ぎのブルーの作業衣に編み上げ靴が如何にも仕事姿に見え,私の態(なり)よりは遙かに仕事向きだった。私は咄嗟にわが身を眺めて場違いな衣装かとやや身が竦(すく)んだ。そんな気後れがディックの登場で一挙に昂じて、私は居たたまれぬ思いがした。洒落っ気こそはないが身嗜みの思いはある。これは違いすぎる、身繕いの世界が余りに違うと私は感じた。

その時のディックの身なりは私の想像を遙かに超えていた。ティシャツ(肌着ですぞ!)に人力車夫の履くような股引状のズボンに頑丈な編み上げ靴だ。シャツはよかろう、靴もよかろうが股引ズボンとは何たることか。それも膝回りが摺れて紺色が灰色に見える。シームもあればこそ、股上がグッと短く腰回りは臍下丹田だ。

男とは言え人の腰回りを観察するなど変態ながら、私はディックの履く「股引」に異常に惹かれた。如何にも仕事着だ、ちょっとやそっとでは破れそうにない布地に見える。これからの日々仕事あっての学業だと思えば、この股引早速に手に入れるに如くはない。

トム掛かりの仕事の合間、私はディックにそれと訊ねた。彼はおおそうかの風情で甲斐甲斐しく股引話を聞かせてくれた。聞けばこれはリーヴァイスというデニム地のズボンで男女を問わず履かれていると。正装には向かないが普段着に仕事着に重宝で、履くほど履きやすくなるのでお薦めだという。買うならここだと店も教えてくれた。何なら一緒に行ってやろうかというから自分で揃えるといえば、決める前にfittingを充分にせよとの助言。ピッタリ履くのが命だから股上や腰回りをしっかり合わせてと女房気取り。親切な奴だ、ディック。

その日のうちに私はディックが教えてくれた店に行った。シャツもリーヴァイスも靴も、みなその店で調達できた。着替えも充分に手に入れて遅ればせながら態の気後れを払拭した。それにしても、生まれて初めてリーヴァイスを履き込んだときの私の実感を想像いただけようか。腰から下をテープで巻かれたなのような束縛感、股下からベルトまでの一体感から来る操り人形がさもありなんの違和感が、あたかも異文化を纏った思いだった。

何も大袈裟なとは申されるな。幼い頃は木綿の着物で育ち、十代は戦中の耐乏生活を凌ぎ戦後の物不足を引きずって長じた私にとって、リーヴァイスは世界を異にする文化だったのだから。加えて、戦勝国アメリカに乗り込んでささやかながら学問で一旗揚げようとする身にして、リーヴァイスに雁字搦めに縛られた感覚は複雑だった。内心ながら、この異文化ついに履き込んで見せようの気概は沸々と込み上げてきた。若き日の昂揚した心理の顕れだった。

ところで、リーヴァイスとは昨今のジーンズのことだ。ホチキスがステープラーのこととは知らずにそう呼ぶように、アメリカではなおリーヴァイスが通り名だ。だから私にはあの日に初めて履いた「異文化」はリーヴァイスだったのである。

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