ある「愛日家」を偲ぶ会

蔡焜燦(さいこんさん)と言われてもご存じない人も多かろうと思うが、この方がこの七月に九十歳で物故された。知る人ぞ知る台湾の知日家、いや、ご本人は愛日家を自称され、温厚篤実の人柄から数多(あまた)の日本人がこの方と縁を結んでいた。今日、偲ぶ会に参席して、改めて蔡さんの人徳を思い知った次第だ。

さて、その蔡焜燦さんだが、ご存知「台湾紀行」の司馬遼太郎が他ならぬ蔡焜燦さんに手を引かれて台湾を巡った、といえばどうだろう。博覧強記の”老台北”蔡焜燦の手引きがあったからこその「台湾紀行」だった、というのが本当のところだ。司馬遼太郎も博学で知られる人物だが、どうやら老台北には甲を脱いだらしい。

なにせ愛日家を自認する蔡焜燦さんは、売り出し中の紀行作家に目一杯の助力を惜しまなかった。蔡さんは実業家として成功し、私財を投じて愛日振りを発揮したらしい。らしい、というのは、今日の集いで故人を偲ぶ誰しもが蔡焜燦さんの「もてなし」の只ならぬ様(さま)を語ったからだ。作家の阿川佐和子さんが、その辺りの話しをユーモア交えて披露していたが、蔡焜燦さんの「もてなし」は伝説的なものだった。

台湾独立連盟の絡みで訪台した折、私も愚妻ともども「洗礼」を受けた。一度はたまたま都合でパイナップルケーキの土産(これも質量ともただものではなかった)だったが、その次は知己ともどもに食卓一杯に溢れるご馳走を振る舞われた。大盤振る舞いである。

今日の偲ぶ会には、蔡焜燦さんの三男で日本籍の清水旭さんが来られて、「最後まで日本と台湾を愛した偉大な父だった」と感慨を述べられて、満場の拍手を受けた。李登輝元総統の弔辞も披露されたが、そこで李さんは「蔡先生が日本の皆さんへ必ずといっていいほど呼びかけたのが『日本人よ、胸を張りなさい』だった。日本が自信を持ち、台湾とともにアジアを引っ張っていくことを強く望んだ心の叫びとも言えるだろう」と、蔡焜燦さんが日台関係に果たされた功績の大きさを強調した。

最後に、満堂「仰げば尊し」を斉唱して蔡焜燦さんを偲んだが、なんと、どうやらキーが合って私は大いに喉を振るった。三番まで滞りなく歌い切るとは如何にも痛快、日頃のカラオケが役立った一幕だった。

蔡焜燦。いまだ道筋がみえない蔡英文の台湾は、いま日本との絆だった要(かなめ)の人物を失った。日本では、時あたかも國の舵取りを決める選挙が緒に就いたばかり、北朝鮮絡みの不安定要素があるからこそ、日本は台湾の存在とその意義を改めて認識しなければならない。

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