言葉遊び少年(1)

いま、世は津波よ土砂崩れよと、なんとも騒がしい。これが自然の生業だけならまだしも、人の心にも喧騒の気配が漂うとなれば、これはただごとでは済まない。

さて、諸賢、わたしも言挙げしたからには、それが愚にもつかぬ戯れ言の山にならぬよう、ここで傘寿を迎えて「信念の柱」を一本、建てておこうと思うのだ。まずはその先駆けに、わが来し方を振り返って自省の糧にせん、と、筆ならぬキーボードを開いた次第だ。所詮は鱓(ごまめ)の歯ぎしり、読み流しいただければ望外の幸せである。

なんの因果か、わたしは幼いころから言葉の遊びが好きで、尻取やら謎掛けやらパズルやらに興じていた。そのうちに、文字の形に興味がわき、習字などに夢中になっていった。そうこうするうちに、言葉を弄んで文章を書くことがなんと面白いことか、自分で気づいたのである。お習字からこんどは綴り方に興味が移ったというわけだ。題をもらってはいそいそと綴り方に勤しんだ。戰争で焼けてしまっただろうが、あの頃の綴り方、読んでみたいものだ。

その頃は「読み方」という科目も得意になっており、小学校の(いや、あの当時は国民学校といっていたのだが)二年のときだったか、読本の「ぼくのぼうえんきょう」というのを、先生方と全学年の生徒のい並ぶ中、朝礼台の上で朗読するまでになった。子ども心に嬉しかったものだ。今にして思えば、そうあることではない。ささやかな自信と幼い自我の芽生えだろうか。表現することの妙味、それを伝える言葉というものへの憧憬に似た感覚を自覚したものだった。

それが嵩じて、わたしは「言葉の力」に取り込まれていった。八つ、九つでクラスの文集づくりに沒頭し、折から「撃ちてし止まむ」の表題にこだわって級友と争うなど、一端の少国民、意気軒昴だったのだ。

戦争の日々が続き、やがて終戦。疎開先で国民学校から中学校へ。そして、あっという間に英語という見知らぬ「言葉」が洪水のように流れこんできた。それでなくても言葉に異様に敏感だったわたしは、この言葉の洪水に飲み込まれ、押し流された。文字通り、英語のエの字も知らぬ子どもが、横文字の世界に引きずり込まれたのだ。

英語という「文明の衝突」は、真っさらの子どもの頭脳にはまさに衝撃的だった。それをもろに受けたわたしは、えも言われぬ経験をすることになる。次稿から、そんなわたしがどのように英語に戸惑い、英語に惹かれ、英語を抱き込んでいったか、ひとつのレアな経験談をお聞きいただきたい。一人の英語人が形成されるまでの事の流れを書き残しておきたいと思う。

「文明の衝突(2)」へ→

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