茅ヶ崎の海

巷がコロナ騒ぎでうっかり外へも出られず、何かに触れては消毒スプレーで手もみをする鬱陶しい日々が続いているが、今日は鮮やかに晴れてドライブ日和だから、何と海を見に行きたい、と愚妻が云ふ。そうか浜辺ならひとに巻き込まれまいと意気投合、早速に車を出して一路茅ヶ崎へ。

何でまた茅ヶ崎くんだりまでと問へば、愚妻曰く、「広々とした海が見たい・・・」なるほど、コロナの閉塞感が云はせる妙なるひと言。コロナなど厄介な病は人の噂だけでも体にこたへる85歳にとって、ひとときの砂浜散策は何よりのpastimeと云ふものだ。

圏央道を目一杯走って1時間余、もう其処に浜辺が見える処に着いて、まずは寒川神社へ。神社検定3級か何か神社の知識がある愚妻は、幸便にこの相模一の宮の参拝を目論んでゐたのだ。雄略帝まで遡るこの神社は、武田や徳川の帰依を得て壮大な境内を誇る相模の古社、久しぶりに訪れて見れば流石は相模一の宮、出雲大社並みの壮大なしめ縄が目を引く。木立が深く玉砂利豊かな境内は、堂々と詣でるひとを圧倒する。神社本来の佇ひを一切備えてゐる風情は圧巻である。握れば運が舞ひ込むと云ふ握り拳のお守りをポーチに結んでいざ浜辺へ。

茅ヶ崎の浜辺は春間近の陽光に輝いてゐる。サーファーもそこかしこ、子供連れの塊があちこちにクラスター状だが、何処にもコロナの気配は豪もない。流石湘南の海ははるばる広く、折柄の青空は飽くまで高い。愚妻の脱コロナ策は大当たりである。

ビルケンシュトックの私は既に裸足状態、はじめは怯んでいた愚妻も思ひきって素足で砂浜に降り立つ。波打ち際まで歩いては海水と砂のコラボを愉しむ風情。これもまた思はぬ馳走で、はるばる車を走らせてきた甲斐があらうと云ふものだ。

この辺りはしらす、それも生しらすが本場だ。料理好きな愚妻が、帰路にしこたま買い込む。好物はいくつかあるが、酢醤油を散らした生しらすもそのひとつ、蕎麦と並んで5本の指に入る。単純極まりないおかずだが、新鮮なしらすはまたとない妙味だ。半端な料理では酢醤油で生しらすの滋味には遠く及ばない。これで二日ほど夕食のメニュウが決まりだ。

桶川の田舎に庵を開いて以来、もう海は遠いものと、半ば諦めてゐた。圏央道が何年か前に桶川辺りにも開いて便利してゐるが、湘南まで一時間余で来られるとは知らなかった。コロナが収まり巷が落ち着けば、何ヶ月か毎に小磯などに竿を出す気になれるかも知れない。

思わぬ収穫で和んだ海辺の数刻、しばらくは鬱陶しいコロナ話も気にならずに済むかも知れない。

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