呪われた年を反芻するの記

思うだに悍(おぞ)ましい一年を過去に追いやり、新たな年を迎へてしみじみ思ふところを記すのも一興。時系列で先ずは・・・

暮れの嘆き

人間同士の諍いや自然現象に所以するならどこか割り切れるのだが、どちらともつかぬ妖しげな出来事が、右から左へ、過ぎ去る年を見守る切なさはなんとも言へぬ。まして、正月から正月まで丸々となれば、歳のいくつかは問わず、「ああ、一歳損をした」感は甚だ強い。

十年日記を始めて七年目、今年(二〇二〇年)は春先から武漢肺炎で日々の記述がこれで埋まった。稀有なことだ。如何な事態が出来しても、それはそれ、旬日ほどの噂で終わるのが常、春先から暮れまで粘着した出来事は記憶にない。武漢肺炎、支那発の新型かつ感染力の滅法高いウイルス性感冒だ。蝙蝠を食らう支那が発生源と云ふだけで怖気を振ふ代物、五輪を潰した難物だ。だが、流石は日本、発生以来いま歳の暮れに至るまで、他国を遙かに抜く対策で急場を凌いできた。明ければ五輪を控へる年、いわば正念場だ。賢かるべき日本人よ、以後の対処方努々怠るまいぞ。

そして年が明けた・・・

疾うの昔、ひょんなことで知り合ったナイジェリア人がかう呟いた。「大晦日と元日に何の違いもあるまいに・・・」。イスラム教徒の彼が日本の歳末元旦の大騒ぎを野次っての言い草だったが、コロナ漬けの年明けに、不図、それを思ひ出したのである。意味こそ違へ、言ひ得て妙。憎っくき武漢肺炎は年明けて三たび牙を剥き、年賀も初詣も、何とこの大和国から正月を奪ひ去った。疫病の悍(おぞま)ましさを思ひ知った筈の大和人(びと)が、この国難をどう切り抜くのか。

私が常に思ふことだが、国難あってこそ国家は引き締まるもの、漫然と似非平和を享楽する限りは、一旦ことある時わが大和は三日を経ず霧消する。武漢肺炎に佳き時を奪われた一件が国難なら、これを見事に制圧し去ってこそこの国の矜持がある。国防また然り。八方隙間だらけの今、武漢肺炎さながらの国難来れば寸時に国土は灰塵に帰するは明らか。それを座して待つは愚か、ええい疑似国難を招いて国家の団結を図るのは如何。

だから、私は戯言に紛れてかう放言する。どこやら北の国がロケットを誤射してくれまいか、誤射したロケットが秋田沖なり領海内に落ちてくれまいか。平和ボケの似非大和びとがあっと目覚めて、それ国防はやれ防御体制はと蠢き出すだけでも、漁夫の利ほどにはならう。

初夢

・・・と、遅ればせながら、これは私の初夢のあらすじだ。何やら警報まがいの外出縛り、八十六歳間近の身はそれでなくとも籠り状態だから見る夢も凝っている。が、国難と日本の存亡は絶えず考えるべき話題ではある。今年は五輪が済めば総選挙、それまでアメリカ情勢のベクトルも方向性が明らかにならう。支那の便乗策も様々露呈しやうから、日本が踏むべき道は自ずから決まる。安倍晋三の再登板も充分含めて、今年から来年へ日本丸の舵取りは多難にならう。

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