俳句の楽しみ

手元に「玉藻」令和5年1月号という句集がある。老舗俳句同人誌で、なんと1102号を数える。友人が梟翁を追悼する句を作ってくれて、それが掲載されたからといただいたものだ。とんでもない数の句が掲載されているので、時間のあるときに1ページずつ読み進むのが楽しみになっている。

長年俳句に親しんできた方々のあじわい深い句が並んでいる。
詠われた情景を思い描いて共感したり、旅情を感じたり、おもしろい見方ににんまりしたり、心情を思いやったりする。その方の人となりや生活の香りが感じられたときはとても近しい感じがして、どんな方かと想像したりする。長年俳句に親しんできた方々の句だけあって、浅学な私にとって季語や知らなかった表現を学ぶテキストにもなっている。1ページに必ず知らない言葉や読めない熟語があるのでスマホを使って調べ、なるほど!と理解するのも楽しい。

すばらしいと思った句には印をつけており、それらを後から読み返すとまた面白い。なぜか自分の句と雰囲気が似ている句が多いのだ。自分がナルシストなのかとか、俳句とは主観を詠んで主観で読むものなのだなあ、と思ったりする。

思えば5年前の2018年3月、梟翁の放射線治療に付き添うときに待ち時間を有効に過ごそうと、本棚にあった与謝野蕪村の句集を携えたのが、俳句とまともに向き合った最初だった。その余勢をかって、ツイッターで俳句を少しずつ詠むようになったのだ。すると、案外多くの方がツイッターに俳句を挙げていらして、こちらが「いいね」をすると初心者の私の句にも「いいね」をつけてくださって励みになり、三日坊主の私にしては細く長く続いている。

俳句には季語を入れるという縛りがあるので、いきおい花鳥風月を詠むことが多くなる。すると普段の庭仕事やお散歩で草木や花、鳥や虫に目が行くようになる。知らないものは名前を調べるようになる。5年ほど経って振り返ると、些細な季節の移り変わりに敏感になり、自然を愛おしむ心が育っっているのがはっきりとわかる。デジタルおばさんだった私が、今やすっかりアナログおばあさんになったようだ。もちろん歓迎すべき変化なのでうれしい。

私は何らかの感動があったら写真を撮って句にするというスタイルなので、与えられたお題で即興で句を作るという句会は敷居が高い。でも、もう少し外に気持ちが向くようになったら吟行に参加するのも楽しいかもしれない、などと思うようになってきた。

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