ハリー・シゲノの想い出:その1(37)

Boise city
ボイシはアイダホ州の州都、東京なら府中など都下の町に雰囲気が似ている。地肌の茶色が透けて見える山というか丘を背に町が東へ広がっている。Capitol議事堂から東へ、東端のDepot(鉄道駅)までCapitol Boulevardが走り、右左にavenuesが枝分かれするという、1950年代半ばに私が過ごした頃のボイシの街は、そんなごく単純な町造りだった。数年前に訪れたとき、この街がどれほど変容していたかはご想像にお任せする。

これもその頃の話だ。Capitol Blvd.を東へボイシ川を渡り Train Depotを右上に見て左折すれば、その先はCollege Blvd.だ。左手一帯が大学の構内で北の外れがBronco Stadiumで隣に建設中の赤煉瓦のジムがある。此処で後に一騒動起こすのだが、それは別の稿でご披露しよう。

このCollege Blvd.の右手、木立の間の路地を入り最初の交差点の角に、これからお話しするハリー・シゲノの家がある。ささやかな一戸建てで、奥さんと2、3歳の女の子が住む二世一家だ。この家族とは忘れえぬ想い出があるのだ。

日系アメリカ人一家
日本から留学生が来ていると聞いて大学に問い合わせたのだ、と後日ハリーは打ち明けた。さぞ日本食が食べたかろうし日本の話も聞きたいから、と奥さんと語らって私の居所を探したという。ボイシの西、ナンパという町に住むご両親に私のことを話したら、ぜひ飯を食わせろと背中を押したという。ずっと後にハリーに連れられて伺ったとき、重野さんは眼を潤ませて歓迎してくれ、日本話に花が咲き尽くしたのである。重野さん一家は、私がアメリカで会った最初の一世、二世だった。数年後、ロスで腐るほどの二世に会ったが、重野さんたちから受けた第一印象が私の日系人観を支配することになる。

話を戻そう。思わぬ知らせに私は咄嗟に驚いた。日本語を手始めに日本風を一切を絶ってアメリカにのめり込もうという思いから、日本人はおろかthings Japanese を絶った思いの裏をかかれたからだ。ハリーというからには二世だろうがシゲノは重野らしいから日本風ではある。折角のご接待だ、ままよと受けることにした。もちろん日本食にありつける魅力にも惹かれて、ある日勇んでハリー一家を訪ねたのである。

アメリカの中の日本
庭付きでこじんまりした家で、そこはかとなく、日本風な調度が置かれている。二世と云っても日本語は確かで、会話に何の違和感もない。父母との親密な繋がりが垣間見えて、心洗われるものがある。名乗り合ってみればご夫妻ともまぎれもない日本人だ。訥々とした日本語で、何のことはない日本に戻ったような気分である。奥さんは言葉少なで、2、3歳の娘(Lolly)をあやしながらの受け答えは隣の奥さんという感じ。ハリー自身が常に微笑を浮かべた風情で、背丈は私よりやや低め、これも落ち着いた口ぶりでごく気安い。その日、玄関から入って出るまで、私は思わぬ日本を満喫することになったのである。

聞けばハリーはネオンサインの職人で、今でこそ絶えたがガラス管を曲げて文字やデザインをひねり出す技で飯を食っていたのだ。見知らぬ世界だからまともな会話もできなかったが、彼は相当の熟練工だったらしいことは話の端々で分かった。日本人の器用さが生かされる職業なのだろう。器用さといえば、日系人はガーデニングでも特異な技を披露していたようで、その後出会った日系人が二世も含めて庭師が多かった。一人黙々という仕事環境が日本人向きだったのかもしれない。人種差別のアメリカ社会だ、生き延びる生活の知恵にガーデニングは格好な待避所だったのだろう。

これを書きながら懸命に思い出そうとするのだが、奥さんの名前がどうしても思い出せない。うっすらとした面影と美味かった料理の味はいまでも思い出せるのだが・・・。その日、奥さんはこんなもので勘弁してくださいと、海苔巻きを作ってくれていた。鉄火まではいかないが、あれこれを具を整えて至極上等な海苔巻きをご馳走になった。具は忘れたがこれも美味いお澄ましが付いていた。脱帽である。これだけの日本料理を並べるからには、どちらの母親かは知らぬが、親譲りの包丁さばきが伝統として伝わっていることが嬉しかった。

悔悟の念
だが、今更のように悔悟の思いに沈むのだ。後に知ることになる日系人強制収容所の経緯にまったく疎かった頃のこと、私はこの人たちにまともな対応が出来ていたのかどうか。ハリーたちに何か肝心な、必ず云うべき言葉があったのではないか、日系人たちの戦時の苦労を熟知していれば、ほいほいと日本食に有り付こうという感覚は不謹慎を越えて無礼ですらあったのでは、と。

それもこれも、みな後の祭りである。あの頃の私は無知だった。先々接触することになる二世たちの多様に屈折した言動から、ハリー一家のもてなしの意味を改めて知ることになる。(続)

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