あれがシアトルか?!(17)

夕暮れから夜へ、そして朝へと繰り返す船上の時の流れは、十日も過ぎる頃にはその単調さが言い知れぬ強迫感になって私を苛むようになった。“刻一刻”感である。時間の流れを素直に意識できなくなったのだ。エンジン音を秒針かと疑ったり、真昼時にベッドに潜り込んでいらぬ仮眠を取ったり、履いてもいない下着を洗い直したり、などなど。

煩悶と鬱勃
船上残り数日を残す頃、まもなく起こる「事件」を予感して、わたしはいらぬ神経を使い減らした。競走馬がレースを予感して厩舎内を右往左往する様に、わたしはその事件があたかも天地が動転するかと棒大に思い込んで、苛立ち塞ぎ込んだ。右舷に貨物船が擦れ違うぞ、という人の声も虚ろに聞こえた。上陸前のあの数日は、いわば覚悟と思い切りの時間だった。あの数日間の煩悶(はんもん)と鬱勃(うつぼつ)の時がなかったら、上陸後の人が変わったかのような颯爽はなかったのだから、思えばあの数日はわたしには不可欠な時だったのだ。

あれがシアトルか!
そんな鬱勃の時が私の周辺に流れようと流れまいと、氷川丸は刻一刻とアメリカ西海岸へ近付いていた。風船爆弾がこの辺りの上空を偏西風に乗って漂っていたのか、などの雑念が浮かんでは消えた。乗客たちの話では明日にでも西海岸が見えるそうだ。進路は東に向かっているから、「アメリカを見つけるなら船首だろう」と、甲板を歩くにも船首回りが多くなる。陸が近付けばまず鳥たちが出迎えてくれる、と人々がいう。「よし、その鳥たちに挨拶してやろう。」童心ではない、高揚したわたしの足は地についてはいなかったのである。

その日、わたしはシアトルのスカイラインを確かに見た。流石はアメリカだ。水平線に浮かび上がったのは島影や山の稜線ではなく、市内の建物の凹凸がうっすらと見える。わたしは二十日ぶりの陸地を確かめ、瞼に焼き付けた。「あれがシアトルか!」

鳥たちより前に白いボートが氷川丸に横付けになった。制服姿の検査官らしい人たちが舷側を上がってくる。「なにか事件でもあったのか?」と船員に尋ねたが、ご心配なくといなされてしまった。

「さあ、アメリカだ。アメリカへ来たぞ!」二、三日前には鬱ぎ込んでいたわたしは消えていなくなっていた。なにかぎゅっと引き締まった感が漲(みなぎ)り、わが身ながら豹変振りに驚いたほどだ。荷物の整理は昨夜のうちに済ませ、装いも整えて下船の知らせを待つだけだ。そわそわ感よりは身震い感か。体中で内燃機関のような駆動システムがオンになったような感覚が快い。

黄色のスーツケース
荷物はスーツケースが一個、当時はまだ珍しかった合成皮革の奴で、1mx70cmx30cm の黄色のスーツケース。あえて形状を詳述するにはわけがある。この黄色のスーツケースこそが、上陸後に咄嗟にわたしの「行方を左右する」立役者になるのだ。この経緯は後で語るとして、六十余年を経過した今、このスーツケースの思い出は昨日のことのように鮮明に覚えている。

下船の知らせがあり、わたしは思い出の氷川丸を後にする。タラップを一歩一歩踏みしめながら、わたしはアメリカの土に近づき、そして下り立った。アメリカ本土である。

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