蘇るヴァイオリン

留学先のアメリカで鍵の重いアップライトで「黒鍵」を練習中に右手の親指を痛めてピアノを諦め、以後、幼馴染みのギターで無聊を慰めていたが、還暦を過ぎた頃、虫の知らせでヴァイオリンを弾くことになった。管弦楽法の勉強で何だかんだと楽器は触っていたが、この「楽器の女王」にだけは手が出せないでいた。猫が歩いても鳴るピアノとは違い、これだけは幼時からの叩き上げが欠かせないと聞いていたせいで習う気にもなれなかった。

虫の知らせとは言葉の綾で、還暦を期して何か挑戦すべしの思い入れから、その気になったのである。伝手を頼って読売交響楽団のコンマスN先生とご縁ができた。こういう訳だと話して弟子の末席を汚すことに。この先生の手引きがなければ、還暦の老爺がここまで来られるとは思えないほど、手厚い教えを受けた。音創りが要のこの楽器は、猫には到底弾けない。「歩く」にも音がないのである。音を弦から擦り出さねばならない宿命が、擦弦楽器には付きまとう。擦り出すだけでは楽音はでないとしたものだ。音楽に使える音を創らねばならぬ。私はその厄介な作業に滅法嵌った。擦ったままの生(なま)音を弓毛でどう楽音に仕上げるかの「音創り」のプロセスに痺れたのである。こんなことなら幼時から取り組むのだったと儚い後悔、まさに先に立たぬ後悔に浸ったものだ。

N先生はそんな想いを見事に掬い上げてくれた。飽きずに懲りずに弓遣いの秘訣を教えてくれた。弦を抑え込むなよ、弓の重さを感じるのだと、とかく毛を擦り込む癖を正してくれた。擦弦楽器の奥の深さを沁々悟ったのである。

いまN先生は呼吸器系の重病で豪徳寺のご自宅で床に伏せておられる。1か月ほど前、思いがけなく電話を頂戴して何年ぶりかのお話しができた。電話の向こうのN先生は如何にも話すのが辛そうだったが、あの頃の想い出話には声を詰まらせて悦ばれた。もう何年になるか、一緒にレッスンを受けていた愚妻を伴ってお邪魔したときに、言葉の綾で私の彼女への言葉遣いに反応されて、優しく話されたほうがいいと涙ながらに訴えられた戸惑いを、ふと思い出すのである。

膝の手術まで2か月を切り、あれこれ考えて落ち着かぬ気持ちを労ろうと、10日ほど前からヴァイオリンを弾き始めている。多忙もあってほぼ4、5年ほど放ってあった自称“アマティー”を手にして感無量だった。ふと、N先生を思い出したからである。あの頃の楽譜を出して読んでみる。「ロンディーノ」や「ロマンス」、「美しきロスマリン」、「白鳥」など、あの頃の楽譜にN先生の懐かしい運指の書き込み!書かれる通りの指遣いを追いながら、不覚にも楽譜が滲む。指を2本同時に押さえてとの指示には指のイラストが描かれている。

そう云えば、この前の電話でN先生はまた話したいと云われていた。今こうしてあの頃の楽譜を出してヴァイオリンを再開したこと、先生の運指が懐かしいとお話ししたらさぞ悦ばれるだろう、と愚妻が勧める。近いうちにぜひそうしたいと思っている。

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