ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む

久し振りの英語講釈だからごく素朴な英語書きの話をしよう。時あたかも人工頭脳の席巻が目に余り、人間翻訳の命脈が尽きるかもしれないなどの流言があるが、そのような虚説に惑わされてはいけない。hard factsのやりとりなら確かにAI の縄張りだが、言葉はhard factsなどではない。言葉さらに言葉が織りなす文章の情感は、それが人の意識に根ざすかぎり人の手を借りなければ表現できない。況んやその翻訳に至っておやである。

たとえばの話である。The sun sets in the west. などは太陽が西に沈むとのhard factsだけを伝えようとすれば必要かつ十分な文だ。これをぎんぎんぎらぎら夕日が沈む風な感覚で伝えようと思えば、西のお空とか地平線、夕焼けなどの語彙が脳裏に浮かぶだろうし、まず落日などの語感が浮かぶならthe sunは日や太陽ではもの足りず、日輪まで昇華するかもしれない。

ことほど左様に、英語書きたるものは書き下ろし翻訳を問わず、先ず情感乃至状況あっての言葉選びを心掛けることだ。情感なり状況なりが言葉を呼び寄せるのであって言葉が情感などを綴るのではない。拙い英語書きには大方後者が多くひたすら貧しい薬籠中の語彙を繋ぐ作業に現を抜かす。

もう一つ卑近な例を挙げてみよう。

存在という言葉がある。そもそも「ある」意味で共通の存と在を重ねた「存在感」のある造語だ。平凡な会話にはめったに使われないが、話に箔をつけるときや哲学的な言い回しに重宝な言葉だ。これが英語だとexistenceやpresenceなど、原理的にはthe state of beingも見掛ける。

ある折に、ある御仁からこう問われた。「某太平洋上の米第七艦隊の存在云々で存在は英語でどちらがよかろうか。」presenceかexistenceかとお尋ねなのだが、これなども言葉に鼻面を引き回されるが故の迷いなのだ。たまたま存と在という同じ意味の漢字を重ねたこの言葉を熟知するばかりに、それに相応する英語選びに逡巡することになる。

この場合、言葉の選択に迷う前に当の文意つまり状況の如何を考えることだ。文章の前後に想定される状況は米第七艦隊が「その海域にいるかいないか」であって艦隊そのものが実在するのかしないのかではない。それぞれの反語がabsenceとnon-existenceであることを確かめればなお歴然とする。

これは、情感乃至は状況が言葉を呼び込むことのもう一つの好例だ。AIのなし得ぬ人間技がこの辺りにある。当の御仁にはその辺の因果を話してpresenceが適語であることを納得してもらった。

言葉がデータである側面もたしかにあり、情感とはおよそ縁のない学術論文の読み書きではAIの台頭が人間翻訳を駆逐してはいる。そこでは翻訳は転訳であり、もはや人の手は要らぬ世界と割り切ることだ。転訳はAIに任せて英語書きは須(すべから)く呼吸する書きものを書き下ろし、翻訳に専念することだ。

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