new-born baby

赤ちゃんが生まれた、a new-born baby だ。いまだからこそ口をついて出てくるんだが、この言い回しを聞くと胸がじーんと熱くなるという、ある「文法バカ」の話を聞いていただこう。この男、大戦後間もない50年代早々に単身渡米した。負けるはずがないと信じていた俺の国を完膚無きまで打ち破った国とはいったい….、と直に見に行ったというのだから無茶な話だ。

この男がその後どう生きたか、その辺の事情をどう納得したかは追々の話として、new-born baby にまつわる原体験をお話しておこう。

ある年の夏、世話になったある二世のご夫婦の畑仕事を手伝いにいったときのこと、刈ったばかりの干し草を束ねる作業に汗を流していたとき、その家(や)の娘さんがひと言: 

“Hey, the new-mown hay sure smells good, uh?” 

It sure does…. とでもいって話の流れを止めなければよかったのだ、と彼はうなだれるのだ。すこしばかり耳ができてきていた奴っこさん、こう半畳をいれたという:

”Supposed to be newly-mown hay, no?”

文法バカの面目躍如というところだ。それはそうだ、英文法さまに聞けばnewじゃ形容詞、ここは副詞のnewlyじゃないと形容詞のmownは飾れない!!それはもう鼻ぴくぴくで言い張ったという。娘さんはThat’s the way we sayと譲らない、譲るはずがない、なぜってnew-mown hayはほとんど人口に膾炙(かいしゃ)している言い回しなんだから…..。

結局、彼は自説を譲らず気まずい思いで二世のお宅を辞し、以来そのご家族と会うことがなかったのが、良かったのか悪かったのか。のちに彼はおのれの無知を悟り悔悟の臍(ほぞ)をかむのだが、掛け違ってついにその娘さんを訪ねて不明を詫びる機会がなかった。new-born baby を聞くたびに胸がじーんと来る所以だ。

如何かな、読者諸賢。そういうものだ、言葉というモノは…..。生きた言葉は文法を越えるという現実。いま a new-born babyがつらい彼の心情、お分かりだろう。

この文法バカ、なにを隠そうわたしのことだ。じつはこの手の話しは枚挙に暇がない。言葉が文化であり、文法と言い慣わしがあれば言い慣わしが優先するものだという「原理」を悟るには、当の文化に浸らねばならない。この原理は書き言葉にも浸潤しているから油断がならない。その辺りの話しは別稿に期したい。

ご機嫌よう。

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