子鹿物語(3)

浦高時代はわたしの得意の日々ながら、自省の時でもあった。なんの縛りもなく英語漬けの日々を送れた満足と、せっかく名門に席を得ながら、かくまで学びを偏重させなくともよかったのではないか、の自省がない交ぜの複雑な思いだ。ものごと、若気の至りというが、あれが果たしてそうだったか、八十翁にして未だに分からない。

駅から校門までの道は、余分な錢があるではなし、ひたすら物思ひに耽りながらの往きかえりだった。ただ、ある一箇所だけは錢を都合して寄り道をした。北浦和映画館だ。いまはどうなっているやら。名前でも代わっているか、それとももう影も形もないか。その北浦和映画館は、わたしの英語修行の道場だった。洋画がよく掛かっていたものだ。「陽のあたる場所」も「終着駅」も、そこで観た。

ある日、この北浦和映画館に「子鹿物語」というアメリカ映画が掛かっているのを見た。タイトル通り、少年と鹿の絵がポスターに描かれてあった。この映画が、わたしのその後の道筋をつけることになるとは、神ならぬ身に分かろうはずもなかった。いつもの習慣で木戸銭を払い、ぬっと入った。映画は途中で、スクリーンでは、緑濃い森のなか、細流(せせらぎ)に沿って男の子と子鹿が戯れていた。近くで母親らしい女性の声が彼の名を呼んだことから、この子がジョディーという名前だと知ったのだが、後にわたしは、ジョディー役のクロード・ジャーマンという子役にファンレターを書くことになる。

さて、わたしはこの映画でアメリカのもう一つの顔を観た。高層ビルや自動車が溢れるモダンな印象ばかりが先立っていたアメリカという国の、自然豊かな面をふんだんに観た。それが後に、アイダホというど田舎の大学を好き好んで選んだ動機になったのだ。「こういう所へ行こう」。

とどのつまり、わたしは「子鹿物語」を30回は観た。週末を選んで、朝から居座って3回、英語学習誌「時事英語」で見つけたシナリオをうろ覚えながら、繰り返し観た。最後に父親役のグレゴリー・ペックに説得され、ジョディーが子鹿を自分の手で射殺するところまで、暗唱した科白で画面を追ったのだった。あの物語には、わたしがこれから行くであろうアメリカの新鮮な映像がぎっしり詰まっていた。そして、アイダホでわたしは、似たような風景を探してキャスケードの山を彷徨ったりもしたのだった。

いまは昔、懷かしい思ひ出だ。

次回は、浦高を卒業してアメリカ行きを目標に、飽きもせず英語磨きにのめり込んだ日々の話しを聞いてもらいたい。

ご機嫌よう。

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